人生にもしも…なんてないけど ⑬人の見た目は1割?! そして...
再び、施設での2週間に1回のガラス越し面会に戻ったが、たとえ、母の反応が薄くても、あの時、気のせいかと思った”満面の笑み”が、最後のお別れの笑みではなく、母が面会を楽しみに待っていることを見せてくれたのだと思うと自然と心が弾む。
きっと”朝、様子が違う”と思ったのは、何回かあった軽い痙攣後か、尿路感染の前兆とかだったのでは?というと職員さんは、ちょっといつもとは違っていたんだけどなぁ…と首をかしげていたが、ま、元気になって帰ってきたんだから!と、母はやっぱり生命力が強い、きっと祖母以上に長生きするんだ、施設入所後5年生存率って聞いたことあるし、まだまだ大丈夫!とすっかり安心したのだった。
そして、6月中旬のガラス越面会時、母は逆光に眩しそうにしていたが、この角度なら見える?こうしたら目が合う?と背伸びしたりしゃがんだりしていた時、姿が確認できたのか?母が少し口元をほころばせた。咄嗟に、写真を撮った。
2週間後、面会に行くと、以前の会議室の窓辺でガラス越し面会をすることになった。ここでは逆光にもならず、私たちも母の表情を覗き込むようにみられた。
窓が少し開いていて、ちょっと手を伸ばせば母に触れられるのに、手をさすればまた反応も違うのに…と思っていても、1年以上触れてはいけないとすりこまれていたからか躊躇われた...。
一通り、お決まりの問をし、「じゃ、また明日ね~」と別れようとした時に「そういえば、お母さん、1年以上髪切っていないから最長だよ!記念に撮っとこうか?」とパシャッパシャッと写真を撮って、駐車場の方へ数歩歩き、ふと振り返ると、母がこちらをきょとんとした表情で見ていた。目が合ったので大きく手を振り、また明日ねーと目で会話すると、さっさと車に乗り、エンジンをかけながら父に「今日は(ちらっと目線が動いて)反応がよかったね」と話をした。
(だけど思い返せば、面会中、母の目は1mmぐらいしか開いていなかったのに、リクライニングに全身あずけている状態だったのに、あんな風に窓から顔が見える体制が取れたっけ?きょとんとした表情でこっちを見ていたと記憶に残っているけど、私は何を見たのだろう?)
この日の夕方、救急搬送の電話を受けたのだった。
救急処置室の廊下で、医者からあと数分で自発呼吸がなければ、もう...と言われた今、母の為にできることがあるだろうか?
一命をとりとめても、痛みがある生活ってどうだろう?
拘縮のある不自由な体で、寝たきりの生活で、いつかコロナ禍が収まったら家に帰れるという希望も、もう待ちきれなくなったのかな?
もう、コロナ禍が収まっても在宅は難しいしなぁ…。
それなら、ただ生きててほしい願いは、母の幸せになるのか?
何を望めばいいかわからなくて、ただただ光をイメージし、母に痛みや苦しみがないことだけを祈った。
その時、あっと思い出したのだ。
あの夢を(①)
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