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自己啓発

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もっと自分を高めたい人の為に
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#学び

指摘と注意の受け入れ具合で伸びしろが変わる

 大人になってから、 学生時代に比べ、 指摘してくれる人が圧倒的に減ったということに気付いた。  最初の頃はさほど気にせず、「自分はこのままでもオッケーなんだ」なんて思っていた(なんと愚かな!)。  が、ある時になると、とうとう付けが回ってくるようになった。  いつの間にか孤立されていたり。  陰口を言われるようになったり。  話しかけると目をそらされたり。  そして困ったのは、 こうなってしまった 原因が分からないことだ。  教えてくれる人なん

なぜ勉強しなければならないのか

 「なぜ勉強しなければならないのか」。  誰でも一度は疑問に思ったことがあるこの問いに対して、 選択肢を広げられるから という答えを一番良く聞く。  「学んだことが多ければ多い程、将来の道に対する自由度も高くなる。」  私はこの答えに賛成だ。  しっかり勉強出来れた人ほど、束縛が少なく、より自分らしく生きていける。  学習や経験等を通して脳内に蓄えられた内容を「知識」という。  そして、それらを実際に活用するスキルのことを「知恵」と呼ぶ。

宣言すると、続けられる?

 「何かをやり遂げたければ、それを周りに宣言しろ!」と、ある自己啓発書で読んだことがある。  その本の言い分によると、周りに「自分はこうする!」と伝えれば、「言ったからにはやれずにいられない」というプレッシャーが湧き、怠けたくても続けられるようになるのだとか。  確かに一理あるかもしれないが、余程その夢や目標に対する熱情が無いうちは、こういった宣言は逆効果でしかない。 宣言をすればする程、 皮肉や非難を浴びさせられるからだーー 「その目標何の意味があるの

人の成長する機会を横取りしない

 「あ~もう!ダメ!全然ダメ!」  なんとも発狂寸前の叫びである。  「私には出来ない、decoちゃんが代わりにして!」  こう嘆いているのは、私の韓国人の友人、S氏である。  教会の牧師先生から、動画に日本語ナレーションを入れるお手伝いを依頼されたが、未だに満足いく発音が出来ないのだそう。  学習を始めて、10年近くになっただろうか。  熱心に日本語の勉強をしているS氏は、語学研修の為日本にしばらく住んでいたこともあり、すごく流暢に日本語が話せる人だ

タフなメンタルが形成されるまで

 打たれ強く、何があってもめげずにいられる人はどんどん大きくなれる。  立ち止まらずに突き進んでいけるので、成長が止まることはないからだ。  そんなタフなメンタルを持ちたいと憧れてはいるが、残念ながら私は何かあればとことん凹んでしまう性格なので、立ち直り力が育つまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。  辛いことがあると、大抵の場合、私は閉じこもってしまう。そして思う存分落ち込む、泣く。  そして気が済んだら涙を拭いて「よし、また頑張るか」と、ようやく再出発する。

「しつこい」力、逆境指数

 「また練習に付き合わされたのよ」  妹が中学生だった頃、よく放課後にこう愚痴をこぼしていた。  「また?」  「そう。例の子。   自分で書いた曲だかなんだか知らないけど、いちいち私に弾かせるの」  妹が言う「例の子」というのは、クラスメイトの一人だ。  女の子で、音楽が大好きらしく、よく自分で作曲をしているらしい。  そしてピアノが出来る妹にお願いして弾いてもらい、曲の効果をチェックしているのだとか。  「毎回すごく時間がかかるの。彼女が満足するまで曲

心と「ジャストサイズ」である成長を目指そう

「もっと良くなりたい」。  これは全ての発展において、欠けてはならない大事な気持ちだ。  その気持ちが原動力となって、人が成長し、社会が進歩し、文明も発達出来た。  時代の流れに取り残されない為にも、向上心は不可欠である。  だから、どんな時でも「このままでいいや」と満足せず、上を目指すべきだと、私は思っている。  けど、これを行うにあたって、忘れてはならないことがある。 心の器を大きく強く磨いていくことだ。  大きな夢をえがいては、 「今す

怒られるうちが花

 粗探しのように生徒の不足に目を付けては、叱りつける。  どこの大学院にも、必ずといって良いほど、こんな教授は一人ぐらいはいただろう。  私が通っていた大学院にも、そんな厳しさで有名な教授が一人いた。  その教授はブログを運営していたが、研究課題関連の記事だけでなく、何か院生に対する不満や、「いまどきの若者のけしからん」ところをもつらつらと記事の中で述べていた。  耳が痛くなるような内容が多く、出来ればその方のブログは読みたくないものだったが、何故か全院生には当教授の

全てのトラウマが、私の味方だ

 私は急な不安に襲われることがあるが、その中のほとんどがフラッシュバックによるものである。  過去の嫌な出来事が、ありありと思い浮かんできて、あたかも今起こっているかのような錯覚を起こす。  その苦しさのあまり、動悸に襲われたり、冷や汗が出たり、時には過呼吸になったりもする。  そして、辛い記憶が増えれば増える程、フラッシュバックも頻繁に起こる。  心を蝕むようなトラウマ。  辛い記憶がなく、楽しい思い出だけがあったのなら、もっと明るく暮らせたかもしれない。  そん

今の弱みこそが、将来の最大の強み

 会社の中国語教師として働いていた頃。  試験間近の復習授業で、同じ問題を何度質問しても間違える生徒がいた。  他の生徒はスラスラ答えられている。  中で彼一人だけ、どうしても覚えられず、しょんぼりとした顔で座っていた。  「〇〇さん」  彼の名前を呼ぶ。  質問をした後、彼がおどおどと答え始める。  正解に近い答えだった。あともう一歩!  惜しい!  また間違えたのを知り、更に暗い顔になる彼。  「次は…」  教室を見渡す。  「では、〇〇

言い訳を探すのは、本気じゃないから

 今の私は、早起きが苦手だ。  「今の」というのは、昔の私はそうでなかったからだ。  あの頃は、とにかく毎日が楽しくて、寝ている時間がとてもつまらなく、もったいなく感じた。  朝のジムに通ったり、出勤前に勉強をしたりと、「朝活」にいそしんでいた。  一刻でも早く起きて、新しい一日を営みたい。そんな気持ちであった。  が、その後、様々な出来事によって、私は徐々に病んでいった。  「躁鬱病」と診断され、薬を飲み始めてからというもの、副作用で眠気が増し、寝起きが悪くなって

やる気に頼るな!「習慣力」を味方にしよう!

 「継続力がある人は、やる気が長続きしないことを知っている」という言葉を聞いたことがある。  やる気は頼りにならないものだ。  いざという時に限って出てきてくれない。  ようやく出てきたと思ったら、今度はすぐに切れる始末。  何度裏切られたことか。  でもそれもそうだーー 私達は四六時中元気ハツラツではいられない。  いわば「やる気」は非日常、不自然な状態だ。  不自然なことを維持するのは難しい。  しかも、それを強調しすぎると、通常状態に戻ったとき気が

私のTo-doリスト、神様のTo-doリスト

 努力をしても、叶わないことがある。  でも、努力をしなければ、何も叶うことは出来ない。  私はクリスチャンだ。  教会で、 「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。 そうすれば、あなたの計画はゆるがない」(箴言16:3) と教わってきた。  それは神様にひたすらお祈りすれば自分は何もしなくても良いということではない。  自分がすべきことをした上で、残りは神様にゆだねなさいという意味だ。  どんな事を成就するにあたっても、揃うべき条件があ

筋肉痛は本気で鍛えた人にしかやってこない

 限界まで自分を追い込んだ後の、次の日に来る筋肉痛は最高だ。  全員がそうではないが、筋トレが楽しくなってくると、筋肉痛に憧れる時期が来る。  それが嬉しくて仕方がないのは、如何に自分が努力したかを短期間で、しかも直に身体で感じることが出来るからだ。  この痛みは、誠実で嘘をつかない。  苦しみなんて出来れば避けて通りたいところだが、かえって求める理由は、それが自分の成長を保証しているからだ。  逆に言えば、成長を期待しているなら、それに伴って痛みが来ることを承