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感謝の気持ちがあったなら(と母は思った)(2)

長男と話す

長男にどう伝えたら良いか、夫とも相談して、まずは夫から長男に参加するしないは自分で決めて良いが、小学校最後の運動会だし、お父さんとお母さんは見たいから、出てくれたら嬉しいという気持ちはあるのだということを伝えた。

長男は出ると言った。

夫も本当は、もう少し今の先生には感謝や困らせすぎない対応を長男がした方が良いのではないかと思っている。ただ、それを話して促すのは長男が責められていると感じて上手く行かなくなると思って上記のアプローチにした。

先日子育ての相談をするために夫婦で第三者と面談をした際に、夫の方がしきりに「先生にこんなによくしてもらっているのにまだ困らせていて」という話はしていた。これに対して、聞いて下さった方は、「そんなこと気にしなくっていいんですよ。」と言っていたから、もしかしたら親の方がギブアンドテイクや負担のバランスを気にしすぎているのかもしれない。

長男は運動会などのイベントは出ようと思えば出られる。ただ、最終的に出るにせよ、それに乗り気ではない事の意思表示をしないことには前に進めないような感じなのだ。それが結局先生からの連絡があることで親にお尻を叩いてもらうから出られるという構図になっている気がしてならない。

一方、長男の見解は異なっているようだ。長男は自分の時間をもっと別のことに使いたいと思うらしく、参加を渋っているというよりは、側で見学中も見学しているように見えてずっと思考していて、その時にダンス等々別のことをしてしまったら考えられなくなるから参加しないのだと言った。

私の個人的な意見を述べれば、ここもやっぱり、もやっとしてしまう。利害対立が発生しているのに、勝手に自分はこうだからこうと決めて突き進んでしまっているようで、正しい・正しくない以前に、人には感情もあるということの理解が欠如しているように見えるのだ。それにそんなことより感謝はないのかと思ってしまう。

いずれにせよ、当時は参加を渋ったがゆえに余計に参加し辛くなっているのだろうと思って、参加への心理的ハードルを下げるために家庭で練習に付き合ったりしていた。

そして練習してこれなら大丈夫と励ました日、学校でも練習があったようで、長男に確認したら「先生に自分から参加しますって言いに行ったよ」とのことだった。それでてっきり参加したと思っていたら、後日先生から参加はできていなかったことが伝えられ、参加宣言しかしていなかったことが判明したのだった。

この時点で本番まであと3回しか練習の機会が残っていなかったと思う。さすがに親の後押しがあっても参加しなかったことは過去になく、今回こそは手こずるかもしれないと思った。先生から次回の練習で本番をどうするかの相談を改めてしましょうと言われたが、この判断は学校は立場的にできず、親に託されることとなった。

(3)につづく