見出し画像

ギフティッド児の激しさと、人との出会いの重要性(1)

長男について書くのが当初思っていたより難しく、書いては消しを繰り返している。切り口やトーンをどうすれば良いかが分からなくなってきた。

ギフティッド児については「激しさ」が特性と言われていて、長男についても感情の激しさや知的好奇心の強さ(激しさ)からくるエピソードはたくさんある。ただ実際書こうと思うと、どれも人との衝突が絡むため書き方が難しい。

知的好奇心の強さなら、ポジティブに受け止めてもらった経験もあるため、そちらから先に書こうかと思ったが、ギフティッド児の日常としては知的好奇心の強さが学校で問題になりがちという方が常に悩みになっている。

本当は、教育現場で知的好奇心の高さが問題になるなんて歯がゆいばかりであって、こんなことで悩むとはまさか思っていなかった。知的好奇心が高くて悪いわけがない。

(a)知的過興奮性
「知りたい、探究したい」という意欲が人一倍強いという特性となります。ギフティッド児のこの意欲は、お腹が空いた子どもが食べ物を欲しがる状態が、ちょうど認知的に起こっている状態と捉えるとイメージしやすいだろうと思います。知的過興奮性のあるギフティッド児は非常に多く、彼らは好奇心旺盛で、矢継ぎ早に質問――しかも鋭い質問――をします。成長とともに、集中力や論理的思考力を要する高度な課題を好むようになります。難しい課題ほど、意欲がわき、「燃える」わけです。

ギフティッドの脳は、平均的な知能の脳と比較した時に、より複雑な問題を解く際に両半球の前頭葉が左右対称に近い形で活性化するという特性がありますが、この活発な活性化が知的過興奮性を裏づけていると考えられています*5。

「ギフティッドの居場所をつくる――その理解と受容から」(著者:角谷詩織)

とても参考になった。

ふと、小学校低学年の時の参観日の様子を思い出した。長男は教室の最後列にいたので、真後ろで観ていたのだが、先生が「わかった人手を挙げて」というたびに必死に手を挙げていた。そのうち当ててほしくてたまらなかったのだろう、腰も浮いて前のめりになって「オレっ・・、オレっ・・!」と小声ながら声が漏れ出していた。

ではなぜギフティッド児の知的好奇心の高さが問題になるのか。先生方は事前準備をして授業に臨むはずで、それがギフティッド児の矢継ぎ早の質問と鋭い突っ込みで完全に予定が狂う可能性がある。そんなことが繰り返されていたらたまらない。少数派のギフティッド児に構っていたら永遠に自分の進めるべき授業が行なえない。

要は迷惑になっているのだ。

先生方から知的好奇心が高いことについて、直接迷惑と言われたことがあるわけではなく、公立小学校でも、先生によっては長男の発言の鋭さをほめてくれた先生もいた。それでも、「ほんと授業を持ってかれそうになります」と言われると、少し困ることもあるのだろう。

知的好奇心が「強烈」とか「知的過興奮性」の「過」の字を見ると、やはり行き過ぎを連想させる言葉でもあるし、実際の所、迷惑をかけている側という気持ちになることはある。

ここまでは穏やかに話せるレベルの話で、より事態が深刻な場合も想定する必要がある。

(2)につづく