言葉の正確さについて完璧主義的であるとどうなるのか(3)
WISCに記載されていたこと
今回のテーマに関連して、WISCを受けた際、次のような所見をもらっていた。
言葉で答える課題では、正確さに気を配りながら説明しようとする様子が見られました。一方で、端的に答えれば済む課題であっても、やや冗長に説明してしまう場面もありました。(中略)
言葉の正確さについて完璧主義的であるとも言えるかも知れません。物事を細かく分けて捉えることは得意ですが、逆に言えば、物事を大づかみに、ざっくりと把握することはやや苦手であると考えられます。
具体例で言うと、時計とは何ぞやと訊かれて、「時間を知るもの」とだけ答えれば十分であるところ、長男は短針が1メモリ進む間に長針は一周するという話を交えて、それによって時間を知ることができるといった回答をしたらしい。
こういった質問に対して、中には時計を分解した際のパーツの説明をするケースもあると聞いた。だから「時計」ひとつ取っても、どこに着目するか、何を訊かれていると認識するのか、それをどのように説明しようとするのかは人によってかなり違いが出るのだろう。(それをどう加点・減点して評価するのかはまた難しい問題だなとは思う。)
また長男に対する支援のアドバイスとしては、長男が応答しやすくなるように、大事なことほど曖昧な言い方をせず、正確な言葉で、論点やポイントを明確にして説明すると良いと言われている。
誰にでも当てはまりそうな話ではあるが、”行間”の読み取りが多いほど、ズレは発生しやすくなるわけで、ただその時の問題として責めを負うのが長男になりがちであることが容易に想像されるため、それを避けるために、こちら側が出来る工夫はしたいと思う。
第三者を頼ることで得られる気づき
こういったアドバイスを含め、第三者の視点をもらうことは、その時すぐにはピンとこなかったことでも、いつしか何かのきっかけで「そうだったのか!」という体験となって助けになることがあると思う。
もし仮に長男が自分に起きている状況の説明を進んでやってくれるなら話は早く、皮膚科に行った時だって、黙っていないで「かくかくしかじかで言葉が出ません」とでも言ってくれればこちらも即座になるほどと理解できるわけだが、こういうことはほとんど起きないし、求めたところで余計に言葉が出なくなるだけだろう。
親の方が「何が起きているのだ?」と考え続けていたことと、頭の片隅にあったWISCの指摘がひょんなことで繋がって、もしかしたら「言葉の正確さについて完璧主義的、よって言葉選びに時間がかかったり、状況次第では口を閉ざす」ことがあるかもしれないと思っている。
また最近知り合った心理士さんの話では、恐らく長男は言葉に完璧主義的であるために、我々が思う以上に疲れるはずだと言われた。これも言われるまで思い至らず、なるほどなと思ったのだった。
親の解釈の変遷
以前ある私立中学の文化祭に行った際も、長男はとにかく静かだった。あんなに行きたがっていたのにどうした?と思うほどで、学生による化学実験のショーを見ても、周囲が拍手してどよめいているのに、長男はほぼ無反応に見えた。
夫もそこは気にはなったようで、でも「たぶん知ってるからだと思うよ。さっきもたぶんこうだと思うって説明してたから」と言っていた。
また同じ文化祭で、はんだ付けをやった際には一対一で学生さんに手ほどきをしてもらったのだが、その方が「はんだ付けやったことありますか?うちの部長より上手いと思います」と言ってくれたのに対し、長男は軽く会釈するくらいで、これまた静かにはんだ付けに集中していた(はんだ付けはこの日が初めて)。
中学校の文化祭で長男がやや消極的に見えたところが気にはなったのだった。
そして先日の大学院のオープンキャンパスで、長男が一言も質問せず静かにしていたことについて、夫は「せっかくチャンスがあったとしても、あれだと逃してしまうんじゃないかな」と言っていた。
これは普通はそう思うだろうし、それ以上に原因まで考えることは普通はないだろうと思う。私の方は先日の皮膚科のことを覚えていたから、その話を共有し、今回は無関係かもしれないけれど、長男は正確に話さなければと思えば思うほど心理的ハードルが上がる状況がありそうだということは伝えたのだった。
私なら、英語で話せと言われたら正しく話さなくてはと思って心理的ハードルが上がってしまい、質問しないまま終わるかもしれないと想像すると理解し易くなる。
でも実際には消極的という解釈すら見当違いかもしれない。単に人見知りかもしれないし、私が小さな声で「質問大丈夫?」と訊いたら「大体わかるから大丈夫だよ」と返ってきたから、本当にそういうことなのかもしれないし、自分が小学生であることを意識して目立たないようにしたい気持ちもあったかもしれない。
ただ最後の最後に、こういった長男の姿は逆に馴れ馴れしさがなく、謙虚な姿勢だったとも思う。
今後も長男のことは理解していきたく、そして長男への視線が柔らかくなるように努めたいと思っている。