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感謝の気持ちがあったなら(と母は思った)(1)

長男は集団行動になると参加したがらないために、運動会や音楽会になると決まって学校から事前に連絡をもらうことになる。このようになったのは4年生以降のことで、それ以前に参加を渋ることは無かったと記憶している。

過去は親が介入することで本番は全てそつなくこなしてきた。しかし、もし先生から連絡が来ず、親も長男が普通に練習しているはずと思って当日を迎えていたら、一体どのように対応するつもりだったのかとは思う。

遡ること4年生の運動会、「このままでは本番は出られないと思います。」とまるで他人事のように担任から言われた際は、長男と反りが合わないこの先生に任せておいてもダメだろうと思って、母親が手伝って本番を乗り越えたのだった。

運動会は参加しない選択肢も常にあった。それでも長男に働きかけたのは、全てを長男のやる気の問題として片付けられてしまうことに納得がいかなかったからだった。

理解のある先生をもってしても参加は渋った

5年生になって担任の先生が変わってからは先生との仲も良好ではあったが、運動会の踊りをはじめ、長男は色々と参加を渋ることはあった。その度に先生が寄り添ってくれたり、そっとして置いてくれることもあれば、参加したら「ありがとう」と声をかけてくれたこともあった。

先生も長男が心からやりたい訳では無いことはわかている。そこを長男が気持ちに折り合いをつけてやってくれた場合には、声かけをしてくれていたわけだ。どんなに働きかけても我を通すこともあったと思う。先生も一時は心が折れたかに見えたが、見放さず、時には長男がやりたがらないことにも一理あるという所まで理解をしてくれた。

6年生になってからは、もはや長男は授業中は教室にいたりいなかったり、好きにやっている。それを先生は信頼して見守り、長男が窮屈にならないように配慮くださっている。親も見守る方向で良いと思っているし、宿題などももういいかなと思って何も言っていない。

だからこそなのかもしれないが、この春に運動会があった際、担任の先生から練習に参加していない旨の連絡と、参加は本人の意志を尊重する方向でご家庭で一度話す機会を持ってみてもらえないかと言われた時にはがっくりきた。

運動会は通常の授業と違い、先生も困る。ここで長男が日頃の感謝から困らせない選択をしなかったことに少々幻滅してしまった。今回が小学校最後の運動会である。最初からが無理でも、先生が親に相談するようなことになる前には自分の気持ちを切り替えてくれるのではないかと思っていた。

この思いは、もし長男が今も学校で理解が得られず、虐げられていたなら沸いてこなかっただろう。逆に長男がそれほどまでに我を通さなければいけない理由こそ何なのかと思わずにはいられなかった。

(2)につづく