言葉の正確さについて完璧主義的であるとどうなるのか(2)
分かってやれていなかったのだと思う
長男が考え込んでしまって言葉がすぐに出てこない現象を何度か目の当たりにするうちに、過去に親としてまずい対応をしてしまったかもしれないと思うことがいくつも思い出されるようになった。
よくあったケースとして、長男は学校から頻繁に電話がかかってくる子であったために、長男にも事実確認をすべく状況を説明せよと命じることが多かった。すると長男はだんまりを決め込むかの如く沈黙することが多かったのだ。
これは辛かった。一刻も早く話してほしい状況でうんともすんとも言わなくなるのだ。親からするとかなりの忍耐力を要した。ここで今のように、もしかしたら頭の中に情報があふれていて取捨選択が出来ず、さらに正確に話さなくてはと思うと言葉も出てこなくなるということを親の方が察することができていれば、その後の展開は大きく変わっていたかもしれないと思う。
しかし残念ながら、当時は都合が悪いから黙秘しているのだろうとか、時間稼ぎをして口実を考えているのではないかと思うこともあって、一刻も早く喋ってほしいという思いを募らせるばかりとなっていた。
長男をせかせばせかすほど、「今考えてる!」と返って来ていたなと思う。それに対して、何を考えることがあるのか、事実をありのまま話すだけであって、考える必要はないはずだと思ってしまったのだった。
またさらに長男はこういう状況になると、「怒られたから喋りたくなくなった」と言い始めることも多かったため、また屁理屈が出た、人のせいにするとはどういうことだ、なぜストレートに回答してくれないのだという怒りにもつながってしまっていた。
皮膚科での出来事があって初めて、あぁこんな場面でも言葉が出なくなるのかと、これまでのあらゆることが繋がったように思った。そしてそれがなぜなのかが以前よりは理解できたように思っている。
本当はもっと早くからこういう事を親が認識できていれば、今ほど親子関係も悪循環には陥らなかったかもしれないと思う。長男との関係は良い時はすこぶる良いけれど、ちょっとしたきっかけでうまくいかなくなることも頻繁に起きてしまっている。
(3)につづく