兄を見て、次男は悩んだ(3)
あらまぁ・・
どうやら次男が、ひとり沈んだ顔をして、教室の窓から外を見ていたことがあったようで、先生がどうしたのかと声を掛けたら、「僕のお兄ちゃんはね、みんなと一緒にいないんだよ。1人でどっか行っちゃうんだよ。」と言ったそうなのだ。
また別の日、朝会で校長先生が話をしている間、長男は自身の担任の先生の周りをぐるぐると回っていることがあった。次男はそんな兄を「悲しそうな顔をして、じっと見ていた」そうだ。(長男は権威が好きでなく、また退屈であることの意思表示があった)
次男にとって、自分の兄が他の子と違う様子に、戸惑いもあったのだろう。
どう説明したか
次男が思ったより思い詰めていそうだったこと、しかし家で報告する時は「あいつまたさ~」という感じで明るく振る舞うこともあったこと、そして兄が怒られれば自分が報告したからと罪悪感も感じていただろうことを思うと、そろそろ説明をした方がよいだろうと思った。
まず、次男が複雑な気持ちになることは、とてもよく分かるし、話してくれて良かったと思っていることを伝えた。その上で、お兄ちゃんが直すべきところももちろんあるのだけれど、実はお兄ちゃんも困り感を抱えている事があって、それを一緒に想像してみてほしいというアプローチを取ることにした。
そのため、学校という場で、長男が直面したことのある学習面のことを一例に、レーシングカーと乗用車の例えで説明した。ギフテッドについては、この例えが使われる事があると思う。
この例えについては、優劣は無関係と理解しているものの、どことなくレーシングカーの方が本当は格好いいというニュアンスを人によっては感じるのではないかと思っている。
案の定、次男はレーシングカーとは速くて格好良い物というイメージから、「僕、今の勉強すぐわかる、簡単でつまんない。」と、勉強が人より先取り出来ていると格好良いという風に、無邪気に褒めて欲しくて言ってきたことがあった。
この点については否定をしつつ、同じクラスのT君のことに触れてみた。T君が興味を持つこと、意欲があること、思ったことを発言することについて、担任の先生からは”授業妨害”認定されて注意をされているはずだけど、本当にT君は悪い子なのか、お母さんはそうは思わないんだよと。
そしてお兄ちゃんも似た状況で辛い経験を沢山していること、色眼鏡で先生から見られるようになると、その子はどんな気持ちで学校で過ごすことになると思うだろうか、と話をしたのだった。今、先生がT君に沢山注意をしたとしても、次男がT君と大の仲良しでいるように、お兄ちゃんとも仲良くしてねと話したのだった。
ギフテッドという言葉は使わなかった
次男に説明する際、「ギフテッド」という言葉は使っていない。長男が普段この言葉を使う所を見たことがないこと、また今後も本人がこの言葉を使って自分を積極的に説明することは望まない可能性があることから、うっかり次男が口にすることがない方が良いと思い、使わなかった。
ギフテッドという言葉は、数年前に学校生活が崩壊して大変でどうしようもなかった時に知って救われた言葉であり、親としても長男を理解するのにとても役立った。今使うとしたら、この人ならと思う人との間で、1,2回触れることがあるくらいだろうか。その後は皆さん頭の片隅にありつつも、長男は長男として見てくださっていると感じている。
我が家にできること
一番身近なところでは、長男との生活を通して、次男や長女が将来、長男のような特性が少し強めと思われる人に出会った時に、戸惑い過ぎず、自身の経験を活かせるように、今の子育ての中で心がけることだと思っている。
人がどう受け止めるかということが、当事者やその家族にとっては影響が大きい。その部分で我が家が救われたと思えたような形で、子ども達が今度は誰かのことを受け止めることができれば、微力ながら誰かの役には立てたのかなと思う。
発達特性については、スペクトラムやグラデーションのイメージで説明されることがあると思う。ギフテッドについても、その傾向は誰しもに多かれ少なかれあるとするのが自然ではないかと思っている。発現が強いか弱いかの違いであって、だからこそ、全くお互いを理解できないということにはなっていないのだと思う。
次男は小学校に行くまでは長男を自分の兄であり、それ以上でもそれ以下とも思っていなかった。学校に行くことで気づくことがあったわけだけれど、今はまた兄は兄だと思って接している。理想だなと思う。