子どもの目を見て話す
子どもの目を見て話す。ただそれだけのことなのですが、私はどれだけできているのでしょうか。20代のころはそこに問題意識もなく、授業中も何かトラブルがあった時の指導も子ども達の目を何となく見ていました。
私は人の目を見て話すことに恥ずかしさを感じる人もいます。話すときは努めて目を合わせるようにしますが、じっと見てくる人とは外すことが多くなると感じます。反対に、相手があまり目を見て話さなかったり、こっちに向けているようで違う方向に目線を飛ばす人には、逆に目をじっと見て話し ています。
学生の頃にしていた運動で、一点を集中したり相手の目を見たりするのではなく、全体を見るともなく見る「遠山の目付」を無意識的にできるようになっているため、学級全体を俯瞰して見ようとするクセが付いているのではないかと考えています。
スピーチをする時に聞く人の目を見て話すことが重要だと聞きます。聞く人の心を動かしたり、深い納得に導いたりする時には、話し手と目を合わせ、自分に言ってくれていると感じられるようにすることが必要だそうです。自分が聞く側になった時、下を見ていたり違う方向に向かって話す人の話はどこか入ってきにくく、その伝わらなさは1対1で話す相手にも同様のことが言えるでしょう。1対多数でも、1人1人と1対1で話しているような話し方が理想のようにも思います。
ある男性アイドルがコンサートで、「1人でも多くのファンの人に目線のプレゼントをするようにしている」と聞いた頃から、目線はプレゼントなのだと感じるようになっていました。自分はそのプレゼントを渡せていないと実感して、意識してできるようにしようと思い立ったのが2年くらい前でしょうか。話すことが上手でもなければ、集団に対して目を合わせることもずっと意識せず、日々何を話すかにばかり意識を向けていていたので、この訓練はなかなかうまくいきませんでした。日々うまくかなかない、忘れてしまっていたなあとつぶやいていました。
そうして最近やっと、話しながら意識できる場面が出てきました。このまま進めていけばきっとできるようになるのではないかとさえ感じています。子どもに対してできるようになってきたら今度は大人相手です。さらに難易度が上がります。それは緊張度が増すからだと思います。自分の課題が克服できるようにと願って言葉にしてみました。
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