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その学校の行きたい方向に

 新しい学校に勤務しても、しばらくすると、その学校を構成する子どもや教職員、管理職や職員の方々のこともだんだん分かってきて、その学校の実情というか上手くいっているところや上手くいっていないところが見えてきます。校内研究の担当になったら、その上手くいっていないところを可能な限り整えながら、目指す方向性を決めていくことになります。何度か担当をすることが続いていくと、この方向性を決めていくところに難しさを感じますが、そのバランスをとることがだんだんできるようになってきたのではないかと感じる時も出てきました。
 主任に強い求心力があれば、その人の思う方向性で進めることができるのかもしれません。例えば、ある教科の指導について精通していて、校内の誰にも負けないような知識がある人などは、その分野についての校内研究において進めやすさを感じるかもしれません。しかし多くの先生方は、私も含めて、そのような力も能力もない場合が多いのではないかと思います。
 また、校内研究は、校務分掌として学校長から業務を任されている側面があるので、管理職の学校づくりのビジョンについても考える必要があります。研究主任に強い思いがあっても、学校長の判断1つで変わってくるため、校内研究は管理職の思いや専門性も含めた人間性が、少なからず関わってきます。担任が変われば、前年度まで機能していなかった学級が生き生きと学ぶことがあるように、学校長が変われば学校組織も大きく変わります。学校にとっての研究主任の立場は、学級にとっての学級代表や一つの係の代表のような立場であるように思います。担任が思い描いている方向とは全く違った活動をしようとしていたらストップがかかるように、何か取組を進めたいと考えても、実行できるとは限りません。担任に忖度をしてやりたいことを制限する担任もいれば、子どもの主体性を伸ばせるようにと考えて接する担任もいて、どちらの方が子どもが自己実現に向けて動き出すことができるかは明らかですが、管理職がどのように学級担任をしてきたかで、学校づくりもつながっているように思います。
 管理職に校内研究に強い思いがなかったり、思いがあっても任せてくれる管理職に出会えたら幸運で、その役割の中で精一杯動くことが、自分の力を伸ばしてくれることを実感しています。強い思いの管理職であれば、自分をどれだけ出すのか、8対2なのか7対3なのか。でも自分を全く出さない10対0になるのは、自分がやる意味もなくなるので避けたいところです。逆に、自分の思いを10出せる管理職だとしても、本当に10出せるかといったらそうでもありません。自分一人で働いているのではなく他の先生方がいてくださって進んでいくので、先生方の思いも合わせて納得感をもって取り組んでもらえるようにしたいとも思います。子ども達の実態も学校によって様々で、実態に合っていないものになってしまってはせっかく時間を使って進めるのにもったいないです。
 研究主任と管理職と教職員の方々と子ども達と、それぞれの思いを重ね合わせてバランスを取りながら、学校の進んでいきたい方向を見つけてゴール設定をしていくことが拙いながらもできるようになってくると楽しく感じることができます。

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