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ある感覚について

こんな人生の穏やかに腐っていく毎日の繰り返しなら必然的に訪れる死を先延ばしにする意味があるのかわからない

最近この考えばかりが頭をめぐる。何をしていても

本当に不思議なことがある。周りは何を目標に生きているのかということだ。

何に楽しみを感じて何を幸せに思って何を目標に生きているんだろう。

私は友達があまりいないが、それなりにいた中高時代でも友達といて楽しさを覚えたのではなく、常に環境に劣等感を感じていた。どんなに一緒にいても。

だから人生で楽しい、とか幸せだ、とか感じたことがほとんどない。

何をしていても俯瞰的にみている自分により現実に戻される。

苦しい。

SNSで周りが幸福を綴る度、肌が薄く切り裂かれるような小さな痛みを感じる。

なんで私はそちら側にはいけないのか。なぜ、何がそんなに違う。

幸福とは何なのか。それを感じて周囲に見せつけなければいけないほど特別なものなんだろうか、

何もかもよくわからない。

こんなことに思考を侵され、ベッドで一人どうしようもなく、見る気もない動画を垂れ流して終わる毎日。

また一日を無駄にしてしまったと涙を流しながら眠りにつく朝に意味はあるんだろうか?

こんな自問を文字にすることに意味はあるのか。

妙な息苦しさは最近無くなった。だけど穏やかに体が、思考が、人生が、私が腐っていっている気がする。

このまま堕落した日々を過ごし、挫折し、2,3年後には死んでいるんだろうな、という確信めいた予感がある。

そう思えば中2病を拗らせた文章を投稿することに意味があるのだろうか。

たとえ誰も見ていなくても。


この日記がいつか周囲の目に届くことを祈って今日もここからベッドの上で思考を、すべてを、腐らせていくこととします。

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