またこの日記に戻ってきてしまった。 久しく日記を書いていなかったが、Twitterでは毎日毎日日記と同じようなことを綴っている。 夜になると強迫観念めいたものに襲われることが多い。 自分は死ななければ、なんで生きているんだろう、今、死ななければ、といった思いで呼吸が浅くなることがある。 そして鏡を見てどうしようもない自分を見て暗い部屋で涙を流している。 誰かに救ってほしくてこの日記を書いているわけではない。 いや、本当は救ってほしいのかもしれない。もう分からない。
苦しんで苦しんでどうしようもなくなって早く死んでいきたい。
何をするにも気力がなく、無関心になってしまった。 趣味や生きがい、目標がなく、何にも手を付けられない。 大学生になってわかったが、人は目標がなくても生きていける。 だが、目標がないと人は腐ってしまう。 私は今穏やかに腐っていっているんだろう。 他人に興味が持てないのと同時に自分にも興味が持てない。 日々、何も考えず、ルーティーン化された行動をしているだけ。 特に意味もなくおいしいとも思ってない安いカップ麺を食べ、バイトに行き、朝までネットの海を漂って気づいたら寝
こんな人生の穏やかに腐っていく毎日の繰り返しなら必然的に訪れる死を先延ばしにする意味があるのかわからない 最近この考えばかりが頭をめぐる。何をしていても 本当に不思議なことがある。周りは何を目標に生きているのかということだ。 何に楽しみを感じて何を幸せに思って何を目標に生きているんだろう。 私は友達があまりいないが、それなりにいた中高時代でも友達といて楽しさを覚えたのではなく、常に環境に劣等感を感じていた。どんなに一緒にいても。 だから人生で楽しい、とか幸せだ、とか
20歳も超えて大学3年生の10月だが、何もしていない。 就活にも取り組んでいなければ授業にも出席せず、留年の可能性が非常に高い。 ただただ自堕落な毎日を生きていて本当に何のために生きているのかわからなくなる。 現実逃避として恋愛をしていたのだがそれも終わりを告げ、いよいよ逃げ場がない。 現実逃避の恋愛が今度はさらに自分を苦しめ、考える度にここではないどこかに逃げたくなる。 本当に何をしているんだろう。 自分の最近の数少ない趣味が喫煙と小説を読むことだ。 喫煙した
一体こうも苦しみながら生きていくことに何の価値があるのか。毎日毎日毎日毎日毎日気が狂いそうになるまで思考し続けている。 生きていくこと、自分が今生きていることには何の価値も何の意味もないことは理解している。 生まれてきた理由なんて考えてきたところで過去数千年に渡り哲学者が答えを出せなかったことに自分が答えが出せるわけなんてあるはずがない。 ただ生きていくのが苦しい。言い訳がほしい。何にでもいいから縋れるものがほしい。毎日毎時間毎秒そう願っている。 私は普通の人生を歩ん
SNSとは不幸の価値の還元である これは私が名も知らないユーザーのnoteから見つけた言葉だ。 正確には知っていたが忘れてしまった。 SNSの入場切符は還元するに値する不幸の欠片を傷として大切に抱えていることだ。 この言葉を見た10人に8人は意味がわからないだろう。 残りの2人のうち1人は言葉の意味を理解はするが共感しない。 最後に残った1人だけが深く共感し私のように書き残すのだろう。 たぶん。 この言葉を書いていたユーザーには文才があったが私に