帰国子女の当事者として思うこと
以前、自分の不登校や帰国子女経験など過去の自分を振り返り、当事者として発信していた記事を出していました。今回はそれらも踏まえた続きで帰国子女の当事者として思ったことをさらに書きました。
(過去に当事者として出していた記事↓)
ここしばらく、シカゴ時代の同級生や幼馴染らと会う機会が続きました。もちろんその同級生たちとの繋がりは今でも大切にしていて、大切な友達だと思っています。
しかし自分が帰国してから、環境が大きく変わって人間関係でも傷つき、喪失感を大きく感じて今でも生きづらさを抱えているのに対して、多くの同級生らはその後、日本でも適応して大学に無事進学、社会人になっている方が多いです。それに対して自分は、適応障害、不安障害を患って学校に行くことが厳しかったこともあって大学に行くことができず、帰国してからの生きづらさを未だに抱えているので、大きなコンプレックスを持っています。
自分は、普通の人にはできない当事者の発信や俳優、ライター活動などをやれていて、以前よりは自分を信じることができました。ただそれでも、生きづらさを抱えないで、他の人と同じように普通になりたい……と思っているところがあります。
また、今でもシカゴで楽しかった思い出が逆に「あの頃」に戻れない、ということで喪失感を強く感じ、当時のことがフラッシュバックすると以前の記事で書きましたが、頻繁にシカゴのことを思い返すので、自分の中ではシカゴの出来事が今でも続いているような感覚になり、時が止まったままのように感じます。
それに対してシカゴの同級生たちは、シカゴの頃の思い出は過ぎ去った過去として認識していて着実に「今」を生きているように見えるので、ギャップも感じます。
こういったことを抱えているので、以前「もうあの頃に戻れない」と指摘されたことがありましたが、それは(自分の中でも頭ではわかっていることとは言えど)、一番聞きたくない言葉でもありました。過去は過去、今は今という割り切った考えが僕はどうしてもできないので。
こういった傷を抱えて今でも大きな壁の中に囲まれているように感じるので、その壁から抜け出そうと昔のシカゴの同級生や親御さんらと再び繋がったり、信頼できる新しい人間関係を形成したり、このnoteの記事でも書いてるような発信やライターとしての取材活動などをしたりと色々なことを試みています。
特にシカゴの同級生や親御さんらとの繋がりは今でも大切にしていることもあって、話していると安心した気持ちになります。
こういった一歩一歩が壁から抜け出すための歩みになるのではないかと信じてやっています。
帰国子女というと、国際感覚を身につけていて英語が堪能で学校のクラスでも人気者なイメージを持っている人が多いと思います。
しかし実態はそれだけではなく、帰国してからも日本にうまく適応することができず、環境や人間関係などで傷つき、生きづらさや苦労を抱えている人がいることも1人でも多くの人に知ってもらいたいです。
帰国子女の当事者としてそうなるよう強く願っています。