母と歌えば2024⑨
昨日の昼前、花散らしの雨風の中、母の家へ向かった。すれ違う人の中には、壊れたビニール傘を抱えている人が、二人。私は濡れることを覚悟して傘を閉じ、上着のフードを手探りで被ろうとしたが、どうもうまくいかない。
なんとかバスに乗り、降りて傘を開き、ほんの数分の道を歩く間に、大の大人が飛ばされそうになるほどの風。母の住む団地内の小道には、桜の花びらが敷き詰められたように落ちていた。さらにスロープの手すりや、自動ドアのガラスにも桜の花びらが貼りついている。
「あの人、亡くなったのよ。」
母はなぜかとても小さな声で、私の同級生のお母さんの名を言った。私は少し驚いた。つい最近まで、母と同じ団地の棟に住むその人の元気な姿を見ていたような気がしたから。もう九十歳を超えていたそうだが、それにしてはお若く、噂好きで少し皮肉な話ぶりはお若い頃と変わっていないように見えた。
「最後にお会いした時、髪を染めるのをやめていたから、元気そうに見えないのかな?とは思ったけどね。」
そう、確か毛糸の帽子を編んで、周りの人にプレゼントしていると話していたのだ。母が
「私はもらってないわよ。」
と言うと、
「あなた、自分で編みなさいよ。」
母は今も月に一度美容院に通い、髪を綺麗に染めている。母は帽子好きでもあるが、そんな母にその人は毛糸の帽子をあげようとは思わなかったのかも知れない。
「いい匂いがするでしょ?なんの匂いだ?」
歌の練習の前に体操をしていると、母が言った。んー、おそらくこれは筍ごはん。
「私、八十八歳にして、初めて最初からそれを作ったの。」
いつもはスーパーで茹でた筍を買ってくるが、珍しく生の筍を見つけて、買って来たのだと言う。
「昨日から、筍茹でるの大変だったのよー。」
「ぴー、ぴー、ぴー。」
歌い始めた直後に、炊飯器が炊き上がりを知らせる音がした。母にそれを伝えると、母はキッチンの炊飯器のところへ行き、中身を確認した。
「少しこわいごはんになっちゃったかも。」
こわいって固いってことよ、と母は付け加えた。わかってるよ。筍ご飯怖くないもん。
前回と同じ「知床旅情」を3番まで歌うと母は、くたびれたと言って、1番をもう一度だけ歌って、終わりにした。
さて待望のお昼ご飯。筍ごはん、美味しく炊けているかな?