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文化としてのセント
京都市内にいて、2時間、隙間時間ができたとする。
あなたは何をしますか?
僕は迷いなく、銭湯に入る。
2時間あれば、近くの銭湯まで歩いて行って、入浴し、しっかり整って、熱った体を外気にさらしつつ、近くのラーメン屋で一杯いただく。
ようにしている。
そんなに頻繁に機会はないけれども、年に何度かあって、ふらっと入れる銭湯は大変魅力的であり、京都市のそこらじゅうに存在する。
それは風呂が個人宅になかった昭和の歴史を感じる瞬間である。
僕の住む町は京都市から北の方にぐーんと遠く離れたところにあるので、銭湯は数年前になくなってしまった。
それを何とか再建しようと目論んでいるわけであるが、道半ば、まだまだ先は長い。(諦めたらそこで試合終了ですから、諦めてませんがね、これはもうライフワークとして続けて、目論んでいます)
京都市内にはまだまだ豊富にある。
街のどこにいても20分ぐらい歩けばどこかに辿り着く。
さらにラーメン屋も大変豊富にあるモノだから、これも銭湯の近くに確実に存在する。
それをセットで楽しむわけである。
何とも大人の楽しみよ。
今日も、銭湯に訪れたわけである。
銭湯は、近頃のトレンドなどどこ吹く風で、昔ながらの地域コミュニティとして存在しているモノだから、tattooあるなし関係なく利用可能である。
銭湯によっては。
この銭湯はあり。
で、バンバン、tattooあり、の漢が入ってくる。
それもファッションのそれではない。
すなわち、龍、虎、般若、である。
おそらく、裏稼業の人たちである。
静かに、若い人はやや粗暴に、銭湯を楽しんでいる。
当たり前の風景として、そこに存在する。
僕は裏稼業の人たちを擁護する気はないけれど、銭湯にtattooあり、は悪いモノではないな、と感じた次第である。
彼らは決して僕ら一般人を邪魔することなく、淡々と汗を流している。
水に浮かぶ昇龍は、サウナでぼんやりした頭で見ていると、そこに召喚したかのようなリアルさがあった。
番台に立つおばちゃんがこれまたいい味で全てを浄化してくれている。
近づき難いけれど、またこようと感じる銭湯であった。