これを人は真面目と言うのだろう
贅沢な悩みでしかないけど、やりたいことをやらせてもらえる、選べる環境にあると思えば思うほど成果を出さなきゃ、何かしらの形を残さなきゃと思って、そんな重圧に耐えきれなくなって、逃げ出したくなる。
そこまで思わなくていいのだろうが、苦しくなる。
そうやって言ってくれる人も苦しめたくて言っているのではないのに。
自分で勝手に制約をつけてしまっていることでしんどくなっているのもわかっているから、それをやめれば万事解決というのもわかってはいるんだけど。
今まで目指してきた者もあきらめて、いま目指している者もなれるかどうかわからなくて、でもそうやって目指せる環境にいること自体、ありがたいことで、苦しんで立ち止まりそうになっている暇なんかないのに、
恵まれた環境だ、そうじゃない人もいると言われると、苦しくて、何もかも投げ出したくなって、でもそう考えるのもダメなことなのだろうと封じ込めようとする。
ダメな感情なんてないみたいだけど。
自分の中には、「恵まれているのだからこうしなければならない」という考え方が根付いているのかもしれないな。
そしてきっとそれを教えてくれた人は、そういう環境にいなかったから、そう考えてその考えを教えてくれたのかも。
それでも、そんないわゆるいい環境にいても、それには感謝しつつ、時にそれを重圧かのように感じてしまうのを、心の中でそう感じてしまうのを許せたらまた変わってくるのかな。何が変わるのかもわからないけど。
でも心の中にとどめられない時点でもうだめなのかもな。
こうやって言葉一つ一つに反応してしまうのを、人は真面目と言うのだろうか。
なんだかいつどんな言葉で落ち込むかわからなくて面倒くさい奴だな自分って。
申し訳なくなってきた。
こういうところから解きほぐしていけばめんどくさい奴を卒業できるんでしょうか。
よくわかりませんね。