やりたいこととやるべきこと
前書き
こんにちは。悩んで解決して、その出た答えを忘れてまた同じことで悩むというループによくハマる高野豆腐です。
今回は毎回悩んでいた「なぜやりたいことのはずなのにやる気が出ないのか。」について腑に落ちた発見があったので、ちゃんと忘れないように書こうと思いました。
お時間ありましたら、最後までお聴きください。
受験生にあるまじきことかもしれないが、本当に法律の勉強に関するモチベーションがなくなっていた。
中学生あたりからずっと目指していた職業で、そのために大学も入ったのに、入ったら自分でも不思議に思うくらい勉強が捗らない。
多分1年生の時は楽しくやっていたから、多分ここ2年くらいだろう。
そこまで勉強が嫌いなわけでもないし、模試を解いているときは楽しささえ感じる。
なのに普段の勉強になかなか手をつけれない。好きなはずなのになぜ?
ずっと考えながらもできることを少しだがやってきた。
そんな時ふと大学受験を頑張れていた頃の自分との相違点を見出すことができた。
それは「一回でも自分のやりたいことをやれた」ということだ。
「やり切った」ではないのがポイント
高校の時、ロックバンドが好きなので軽音楽部でドラムをやっていた。
下手くそだし、塾との兼ね合いで休むこともあったので、周りの人に大変迷惑をかけていたと思うが、ライブや練習の日々はとても楽しかった。青春ってこういうことを言うんだなと思った。
でも高3の時にコロナが流行りだし、引退もかなりぬるっとしたものになった。いわゆる不完全燃焼だった。しかしその当時受験に専念するために部活をやめなさいと言う母とそれを伝えるたびに止める顧問の間で板挟みになっていたので、正直それから強制的に解放された形になってホッとした。
そこからも勉強について右往左往していたが、最終的には一個に決まり突き進むことができた。それ以外の周りの環境はかなり特殊だった(祖母の逝去など)ため、それに関する精神的ダメージはすごかったが。
それでも部活や高校生活に大きな悔いはなかった。
それに対して大学に入ってからは、二つのことを同時にできない私を思って、母から私がやりたいと言ったバイトや軽音サークルへの参加を止められ、自分自身も成績や試験勉強のことを考えて学びたいことややりたいことを断念してきた。
つまり、やりたいことに一ミリも触れられなかったのである。
そしてこの一連の断念の根底にあるのが今やっている資格試験。
ここから自分は無意識に法律の勉強は「好きでやっているもの、やりたいことのために必要なこと」ではなく「やりたいことを我慢してやらなければいけないもの」と思ってしまったから、避けたくなっていると思った。
ではどうすればその状態から脱するのか。それは「やりたいことに少しでも手をつける」ということだ。
自分はおそらくやり切れなくても、「楽しかった」という記憶が残れば大きな心残りもなく、本業である勉強に戻れると思う。
ここでいう「やりたいこと」についてはあんまり形になっていないけど
予防法務(予防法学)に関することを勉強したい
日常で何気なく使われる法律の用語(暴行や名誉毀損など)の意味を正しく理解してもらえるように発信したい
をやっていけたらいいなと思う。そう考えると今の勉強はこのやりたいことの土台だから、この勉強自体もやりたいことの一つだよねという認識に変えることができそう。
それに自分の発信したいことはもう既にやっていらっしゃる先生方も多いし、予防法学っていう学問を学べる場所があるのかもよくわからないから達成できるか不安だけど。
とにかく自分の認識が変わっていたこととそこから影響が出ていたことに気づけたからよかった。
ほぼ言い訳に聞こえるような内容になってしまいましたね。すみません。
発信についての話も出しましたが、ここでは引き続き自分が考えたことなど内面の話をしていくと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また次回お会いしましょう。