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「夢はありますか?」

夢はありますか?

「〇〇です。」

って断言できる人には強い憧れと尊敬の念を感じます。

でも、残念なことに
日本人の9割は
大学を卒業し、
会社に就職し、
時には転職して、
結局60歳まで働き、
毎月の年金を楽しみに待つ。

「そんな人生おもしろそうですか?」

って本気で自分に聞いてみたことは
あるかって質問したい。


最近、
「年金何に使う?」っていうテーマで
ニュース番組が流れてきてお年寄りの方が
「やりくりが厳しいから贅沢はできないよ」
と答えていて、、、、

脳みそが勝手に拒否反応を起こしたのか、
すぐにチャンネルを変えてしまいました。

何が言いたいかって、
そうなりたくないって純粋に思ったから。

じゃあ贅沢をしたいのかというとそうではなく、
年金をもらう歳になっても贅沢をいつでも味わえる状態にしておきたいってこと。

ただのわがままです。


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【以下、引用】
昭和中期までは55歳の定年が主流でしたが、1986年に高年齢者雇用安定法が改定され、60歳定年が努力義務に、1994年には60歳未満の定年が禁止されました。つまり、現状では企業は定年年齢を60歳以上と定めるよう義務付けられています。
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よくよく考えてみて欲しい。
60歳よ?

漸進的な人口不足が巻き起こした結果って
一言で表現されるけど、それくらい深刻であって。

まずは、実現可能性の低くなった時代になったんだなって本気で心に刻まないといけない。

60歳を想像できない人は
どこにでもいそうなお爺ちゃんやお婆ちゃんを想像して欲しい。

・どんな家に住んでいて
・普段はどう過ごしていて
・なにを食べているか

想像してみると、
60歳という生き様をありのままに物語っていると思うのよね。

私がなりたくない60歳は
ボロボロの木造建築には住みたくないし、
朝7時からゲートボールはしたくないし、
歯に優しいふやけた食事は食べたくない。


呼吸が苦しくない空気が綺麗で澄んだ場所で、
いつ誰がきてもいいような綺麗な部屋が広がっている家を持ち、
秋になって過ごしやすい季節になったら夕暮れを眺めながらキャンプをし、
ばりばりに肉を食べてできる範囲で筋トレをして健康的なイケた爺ちゃんになりたい。


欲を言えば
「人生の夏休みを40歳からもう一度スタートさせたい。」


2000年生まれの私は
過去の日本の歴史を何も知らないので、
今から60年前は何が起きていたかを調べてみた。


・これから本格的な高度経済成長期をするという時期
・医療を中心に技術の改新が目覚ましい
・先進国の仲間入りに向けて着実に経済成長している

現代となっては「観光大国日本」
といわれるようになってるけど、
この時期あたりから外国人が来日するようになり、人工データが細分化されて蓄積されたから、
観光ビジネスがはじまったんだとか。
日本って文化そのものが根強いからそりゃ強いよね。

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何はともあれ、
これから60歳になっていくにあたり、
理想を追いかける現代の私と、

私が理想としていることを
目の当たりにしている現代の60歳が、
当時23歳だったときで、

どれくらいの危機感を持っていて
どれくらい本気で理想を叶えようとしていたのか、
比較してみようと思う。

ただ、
実際にギラギラした人生謳歌お爺ちゃんに
出会ったことがないため、

「今から60年前の人たちはどうせイージーゲームだったんでしょ〜」

といったところで現実味は全くない。

だから、
あくまでも2000年生まれの私の主観中心で
危機感と本気度について改めて考えてみる。

過去の歴史は変えられないけど、
未来の自分史は絶対に変えられると思って
ここに記す。

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なんとなく危機感を持っていた、
大学3年生の9月。

周りが遊び散らかしている中、
ちょっとだけ背伸びをしようと
たまたま仲よくしてくれた先輩が
誰もが知る大手企業から内定を貰えそう。

とのことで、
どんな運びで就活を進めていったのか、
まずはじめにすることはなんなのか、
最終的にはどんな判断基準で企業を選んだのか、
といった、
就活の基本要素を聞きに無意識で成功しそうな人のもとへ足を運んでいた。

今思うと運がよかった。

その人がいなかったら、
今の自分はいないとでさえ思う。
いつか恩返ししたい。
いつもありがとう。

私は就活の成功者から、
就活がうまくいく方法を教えてもらった。

全体像を掴むお手伝いをしてもらい、
コツを教えてもらい、
実際に面接を受け、
フィードバックを貰いにいって経験値を貯めた。

幸いにも八方美人ではないので、
誰にでも仲良く接するとか、
つまらない話でも愛想笑いするとか、
面接に関して分別をつけることだけは得意だった。

そんな就活期間を過ごし、
面接を5社受けてはじめて内定を貰った会社へ承諾の連絡をした。

判断基準は至って明快で、
・裁量持てる環境だと思ったから
・大手キャリア会社のバックがあるから
・東京へいけるから

この3つの基準を文書にすると、

「ドベンチャーは毎日残業になりそうだけど、大手会社のバックがあるからそれはなさそうだし、ある程度の裁量持てる環境だから若い人材でも出世しやすそうな会社」

みたいなただのいいとこ取りの条件が揃った会社でした。

今日という3月31日が終わったら、
入社からちょうど1年が経過する。

就活と入社してからのギャップは、
ほとんどないというのが率直な感想。

このまま仕事を全うすることができれば、
大きな障害はなく自分の理想に近づけそう。

でも、この1年間で
私はサラリーマンとしての青天井を
見ることに成功したんです。

私の会社は比較的年齢が若いです。
平均年齢は32歳で男女比は1:1。
世間一般の課長と呼ばれる人の年齢は、
全部で50人ほどいて、おそらく平均すると20代後半〜30代前半。

若くして課長まで登り詰め、
いかにも人生謳歌してますって。
会社単位でみるととても幸せそうに見えるけど、少し掘り下げてみると青天井だなと。

他の会社がどうとかは気にせず、
ある意味で無知であることを利用することに決めました。


実際にもらってる手取りは40万円ほど。
ボーナス合わせて年収600万円。

これはお酒の場で酔っ払った勢いでとかではなく、
話してくれた本人がオープンな方だったから運良く聞くことができた。

そして、事業部長でも1000万いってないとこまで見えてしまった。

でも、
私の言う青天井は
30代中盤で1000万いかないことに対するものではなく、

単純に会社のために働いて
自分の年収をあげるためだけに働いて、
っていうお金に囚われた生活を今から10数年間かけるのかと思うと
「え、、面白くなさそう、、、」からはじまり、
考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しくなってきたから。


それが分かってるのならそれまで。
=サラリーマンの青天井


それだったら、
もっと自分がハッピーになる感情になる環境に身を置いて、
ドM気質でストイックな部分をツンツンして、
本気で生きてるって実感を肌で感じたいって思うようになった。

1年間でのもっとも大きな収穫だったといえる。

でも、
ビジネス走り出しの私の足元は全然追いついていない。

師匠から言われた。
「最初はお金を稼ぎなさい、お金は稼いでいいものだと」

マーケティングで人を動かし月100万を作り出す仕組みを学び、
発信せずともセルフブランディングが確立されいる状態ができれば、
理論上、1年間ほったらかしても1000万以上稼ぐことができる。

それを今叶えようとひたむきに生きている。
無論、
お金稼ぐことを目的とするのではなく
お客様を幸せにするということが目的。

それによって、
お客様が満たされ、私が満たされ、私と関わる人たちが満たされるという流れ。

「少しでもいいから社会貢献の要素を入れなさい。」

それはもう少しだけ待っていただきたい。
今は貪欲にお金について考える時期。
自分は何も成し遂げていない。

自由を得るための選択肢を
本気で叶えるためにまずお客様をつけて、
お金をいただくという経験をする。

そのためには、
就活を成功した人から教わるように、
ビジネスも成功した人から教わればいい話。

自己投資として初めて
ビジネスを教えてもらうという経験ができた
3月は私にとってターニングポイント。

歯車が噛み合って前に進んでいる感覚。
とてつもなく小さな前進だと思うけど、
今できる感覚しかないから人間ってある意味怖い。

人間だからいつかは噛み合わなくなるって分かってるならその対処法を勉強しておけばええだけ。

4月も死ぬ気で生きる。

・・・

やっと思い出した。
「私の夢は40歳からもう一度人生の夏休みをスタートさせること」

fin.

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