【登場人物の心理考察】モアナと伝説の海
毒親育ちのAC(アダルトチルドレン)が映画の登場人物を心理考察してみた。
別の映画の考察も書いたから、良ければ見てね。
※ネタバレを含みます。
CMを見ても特にそそられなかったが、機会があったので観てみた。
非常に勉強になる作品だった。
そして、実写化したマウイ役にドウェイン・ジョンソンはピッタリだなと思った。
始めに祖母のタラから話を聞く子供たちが映るけど、誰がモアナだったのか分からなかったのは自分がADHDだからではないと信じたい。
…分からなかった人、いるよね??
モアナがすくすく成長する間、両親は気苦労が絶えなかったと思うけど、しっかり愛して育てていたと自分に伝わった。
まあ、自分は毒親育ちだと思うからしっかり愛している両親がなんなのかよく分からないんだけどさ。
毒親に関してはこちらに詳しく書いてるから良かったら読んでね。
父のトゥイは浅瀬の海から出る事を禁じて、娘を守っているはずだった。
でも、モアナ自身に芽生えた村長としての自覚も我儘として捉えたため、親子喧嘩になってしまった。
普通の親子であればよくある話だと思う。
モアナは不貞腐れはしてもグレたりせずにダメな物として受け止めており、海辺にいたタラを案じていた。
このシーン、親からの愛を感じられなかったからこそ、グレたりせずに済ませていることが凄いと感じるんだと思う。
モアナが村長だからといえばそれっぽい理由だが、自分にだってそれらしい肩書きを用意することはできる。
そして恐らく、その肩書きは自分が腐らない理由にならない。
子育てが上手だった両親の賜物だと思う。
とはいえ船を出して波に飲まれるんだけども。
その時に豚のプアも連れており、この経験がプアのトラウマとなっていた。
こんな体験してて生きてた事がそもそもラッキーで、2度と近づかないと思っても仕方ないと思う。
波に飲まれたモアナもかなり危ない状態だったはずが、タラに教えられた先代たちの船を見てまたも海に出る。
元から勇敢な子だったからか、何としてでも海に出たかったからか分からないけど、この力強い意思を持てるのも凄いと思う。
自分は欲を奪われ続けていたために、こういった強い意思を持つのがとても難しいし、船を利用して親に不平不満や文句をぶつけていたと思う。
シーンが変わり、モアナとマウイが出会ってからモアナが閉じ込められるまで、マウイの勘違いぶりが大いに発揮され、共感性羞恥を感じた人もいたのかなと思う。
でも、実はマウイの戦略でモアナの冒険用道具と友達のヘイヘイを奪い、マウイにとって大事な碇を取り戻す旅に出た。
と、こう書けば聞こえが良いような、何かの体裁が守られるような状況だが、自分にはそう見えなかった。
全体を通して観た上で振り返ると、初めは本当にファンだと思って接したが、期待していたものが返ってこなかった。
だから更に何かを与えたが、それでも返ってこなかった。
それならと、更に何かを相手に与え続けた。
与え続けている内にモアナが楽しんでいる事を理解しつつ、期待しているものが貰えないことに気づく。
これだけ自分が求める何かを与えられたのだから、もういいよねと言わんばかりに自分の世界観に引っ張っていく。
モアナが完全に目的を見失った頃合いを観て、モアナを岩同士の間に閉じ込め、道具と食料を奪っていった。
まるでテカァ(溶岩の悪魔)に碇を破棄されて1000年閉じ込められた事のように。
マウイは全く気付かずに一通りの行動をしたと思う。勿論騙そうとして騙してるから、狙った行動ではある。
でも影響を受けたから他者にも同じことをしたとは思わないだろう。
そんなこんなで、映画全体を通して勉強になった部分は上記で表現していなかった『何か』の部分。
マウイは1人で生きていて、他者に認めてもらうために人が喜ぶ事をしていた。
でも碇があるから他者が喜ぶ事をできていて、碇が無いと何も出来ない。
本来親から貰うはずの愛を貰えなかったから。
モアナは両親から十分に愛を貰っていて、大した技能が無くても海出てみんなにとって必要な事であり、自分のしたい事をした。
ここが凄く大きくて、勉強になったところだと思う。