半隠遁日記(8月)
30年続けた仕事だが、心の奥底では、やはりもう辞めてしまいたい。
退職勧奨を受けたら、二つ返事で了承しそうだ。
家族は僕の心の中までは伺い知ることはできまいが、退職してしまったら、どう感じるのだろうか。。
悲しそうな顔をするのだろうか。。
好きなようにしたら と云ってくれるのだろうか。
見栄を張らずにしがみつけ と怒られるのだろうか。
おそらく、蔑みの目でみられるのではないかという気がする。悲しいけれど、それが現実というものだ。。。
御恩と奉公。
奉公のおかげでいただける給金。
家族もまともな生活ができるだろうと。
ただ、やはり僕の半分は奴隷だ。
一度、自由市民になってみたい。
通勤しない生活。拘束のない生活。。
お金が一定程度貯まったら仕事を都度辞め、お金がなくなるまで好きなことに没頭する というような生き方を一度してみたい。
仕事も、奴隷みたいじゃないしごと。
嫌なら断れる立場。
そのような生き方をした画家さんが昔居たらしいのだ。
絵も後世に遺されており、ヒトの理想の生き方にみえる。
人生の残された時間は、自分の好きなように使いたい。
別に、飽食や豪華旅行に行きたい訳でもなく、どちらかというと、収入の範囲で、慎ましく生活したいだけなのだ。
お金が無いから、付き合いが悪いにもかかわらず、誘いを断っても大目にみてくれるような気のおけない友人等の人間関係だけが残れば、それ以外は関係が絶たれても実は問題ない。
特に、きっと退職とともにスパッと切れてしまう組織の人間関係を、あまりにも重視し過ぎていたことがわかったら、もうおべんちゃらや、気を使うことが面倒になってきてしまった。
みんな我慢しあっているわけだが、何かそんな状況を滑稽に感じている自分がいる。
サラリーマン失格。。
社会人失格。。
人間失格なのか?
あと30年生きられるとするのなら、約一万日、24万時間を、自分と周囲の人達のためだけに使えるのなら、多分さほど後悔することなく天命を全うできるのではないかと夢想する。
世間が血眼になって追い求める進歩や成長。そんなに焦らなくても、いつか人類は火星に住むだろうし、ガンを制圧するのではないかと思う。
四半期毎に決算したり、月に一度配当したり、そんなに生き急ぐ必要はないのに、どうしてそんなに焦るのか。争うのか。
名古屋に一時間早くついて、いったいどんな有意義な時間を過ごすというのだろうか。
スポーツのニュースって一体なんの意味があるのだろうか。一種のコマーシャルなのかもしれないが、ぼくにはあまり響かない。
地方のスタジアムの観客席も閑古鳥が鳴いている。非情なことだが、一流の試合にしか人々は感動しないのだ。
興味もないのに、これでもか、これでもかといろんなことをすすめられる。知りたくもない情報に受信料を取られ、胡散臭い仕事や義務が増え、決して税金は下がらない。
なんか無理やり競争させられていないか?
やはり奴隷なのではないか?
無意味な毎日を、無意味な時間を、今日も費消するだけなのだ。。
虚しい毎日だ。
【働いて得たもの】
6月にもらったボーナスで美味しいビーフやお寿司を食べることができた。
グリーン車ではないが、切符を買って、小旅行に行くこともできた。
サラリーがなければ、味わえないことも沢山ある。
現代の奴隷には、奴隷であることを忘れさせてくれる喜びもあるのだ。
家族や友人との思い出だけが、永遠ではないが残るのだろう。
それはそれで、全否定することはないのだが、心の片隅の虚しさは消えることはない。
【吐き出し中】(愚痴、後悔の類い)
いくら吐き出しても、沸き上がるいろんな思い。
今年も一人旅に出て、戻れる場所がある自分を、家族の有り難さを再確認するほか道はないのかもしれない。