だれもが愛しいチャンピオン
はじめに
2018年にスペインで公開された映画『だれもが愛しいチャンピオン』(原題:Campeones)は、コメディドラマの要素を持ちながら、深いテーマを内包しています。監督はハビエル・フェセル、脚本はフェセルとダビド・マルケスが手掛けました。この映画は、観る者に感動を与えるだけでなく、特別支援教育の重要性や社会的な視点についても考えさせられる内容です。
あらすじ
物語は、プロバスケットボールコーチのマルコが職を失い、さらに飲酒運転で事故を起こしてしまうところから始まります。裁判所から社会奉仕活動を命じられたマルコは、知的障害者施設のバスケットボールチーム「アミーゴス」のコーチを引き受けることになります。当初は嫌々ながらチームの指導をしていたマルコですが、彼らの純粋な喜びや仲間意識に触れ、次第に心を開き、チームと強い絆を築いていく姿が描かれています。
特別支援教育とは
この映画を鑑賞する際に、特別支援教育について考えずにはいられません。特別支援教育とは、障害のある幼児児童生徒が自立や社会参加に向けて主体的に取り組むことを支援することを目的としています。そのため、一人ひとりの教育的ニーズを把握し、持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善・克服するために適切な指導や支援を行うものです。しかし、私はこの定義を読むたびに、「障害のある」という言葉を除けば、すべての子どもに当てはまる内容ではないかと感じます。つまり、特別支援教育的な視点は、すべての人に必要なものであると言えるのではないでしょうか。
みんな同じ『平等』とみんな違う『公平』
『だれもが愛しいチャンピオン』の中では、健常者が障害者に対して持つ偏見が描かれるシーンがいくつかあります。私自身も、大人になるまで「平等」と「公平」について深く考えたことがありませんでした。この映画を観てから、私は「公平」という概念に「平等」も含まれているのではないかと考えるようになりました。つまり、全員に同じ支援を提供する「平等」と、個々のニーズに応じて異なる支援を提供する「公平」のどちらも、状況によっては「公正」として成り立つことがあるのです。
立場はいつでも学習者
映画の中で、障害を持った登場人物が主人公に対して
「俺たちが彼を教育しているのさ」
と語る場面があります。
主人公は最初、「彼らをコーチするのは無理だ」と頻繁に口にしていましたが、物語の終盤には
「君たちが僕をコーチしてくれた」
と語ります。
この言葉は、教育者としての私自身にも深く響きます。私たちが教育に携わる際、プロとしての自覚やスキルにばかり気を取られ、肩に力が入ってしまいがちですが、人はいつでも学習者であるということを思い出させてくれます。学ぶ姿勢を持ち続けることの大切さを思い出させてくれます。
終わりに
『だれもが愛しいチャンピオン』は、笑いと感動を通して、私たちに大切なメッセージを伝えてくれます。特別支援教育が示すように、全ての人に寄り添い、その人が持つ力を引き出すことが、教育の本質なのかもしれません。障害を持つか否かに関わらず、人はみんなで学び合い、支え合いながら成長していくのです。
参考URL:https://synca.jp/champions/
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