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ライン随想録番外編 老人に「noteで発信しよう」と言っても無理
ライン随想録 番外編
初めに
故郷の村の先代住職が残した資料は幸運にもホームぺージ化され、今もホームページに残っています。
住職の息子の理解と井浦さんのお陰です。
27年後、井浦さんの随想録は失われ、ネットを捜しても見つかりません。
このことに気づいたのが、「ライン随想録」復刻を思い立った経緯です。
故郷の村では貴重な資料がこの世に残った
故郷の村の長善寺住職の父君(父君も住職)は昔の記録を本に残しました。
村の歴史は本人が本にして自費出版したのです。
しかし、昔の食事の記録「おふくろの味」はその本への掲載が漏れました。
住職は父君の残した記録を別の形で後の世に残したいと思っていました。
しかし、インターネットはまだごく一部の人しか使えない時代です。
住職に相談されて、Webを捜したところ日本語のページが見つかりました。
スイス・バーゼルにある国際決済銀行にお勤めの井浦幸雄さんのホームページでした。
バーゼルにはCERNがあり、WWWはCERNで発明されたのです。
だからバーゼルはWWW発祥の地と呼ばれ、インターネットの普及が速かったのです。
まだWebが珍しかった1997年、井浦さんがWebページ化してくれることになりました。
原稿を住職が作って井浦さんにおくりました。
井浦さんに出会うと言う幸運があってページができました。
注1:CERNとはスイスのバーゼルにあるWebを世界で初めて実現した物理実験施設
注2:Bisとは国際決済銀行。BIS規制をクリアして海外との取引するため、国内銀行が合併を繰り返し大銀行になっていったことは老銀行マンなら誰にとっても銀行マン人生の激変期だったことでしょう。
注3:井浦さんのバーゼルレポート1997/12/27。
老人にnoteで発信してもらうには
老人に「noteで発信しよう」って言っても、普通の老人には無理ですね。
誰かが「noteってものがあるよ、簡単だよ」と教えてあげて、
載せたい話を聞き取って、
アップロードしてあげて、
スキがいっぱい集まって、
「こんなに多くの人がスキだと言ってくれてるよ」と言ってあげないと。
そうやって「もっといろいろあげてしてくれないか」と頼まれるようになるかもしれないが、自分でやるのは無理です。
私の故郷の村でのように、発信したい情報の価値を、引継ぎ者が理解することが入り口です。
後の世に残された物
老齢になると誰しも、後の世に何を残すか考えるようになります。
残された物はどうなるのでしょう。
住職の場合は幸運と言っていいでしょう。
息子さんの理解と井浦さんに巡り合い、Webページとして残っています。
しかし、残したいものがこの世に残って役に立っているでしょうか?
自費出版できる人はごくわずかです。
残された発明とかノウハウが権利化されることはほとんどありません。
問題は「活用して欲しい」「出版して欲しい」「寄付して欲しい」などの遺言とともに、あるいは遺言もなく大量の資料が残された場合です。
残された方は、金銭的価値がある物なら嬉しいが、多くの場合はその価値がわかりません。
不用品として処分され、故人が後の世に残したかったものは失われます。
終わりに
今はnoteという便利なものがあります。
世の息子や娘たちよ!
親が残したい資料はnote化してあげてください。
たくさんのスキを集めて知らせてあげて下さい。
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