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インターネットと私(その1)概況
初めに
日本でのインターネットは'97頃が始まりでしょうか。
技術的にはもう少し前だったが、田舎の村で重い負担感を感じることのない費用で使えるにはこの頃までかかったのです。
私の故郷の村の長善寺の上村彰隆住職が、後の世に残したい昔の記録があるとのことです。
この頃はまだ個人でホームページを作るのは難しい時代でした。
たまたまネット上で見つけたスイス・バーゼルのサイトが、井浦幸雄さんのライン随想録でした。
井浦幸雄さんにご相談すると、ホームページに掲載しましょうという話になりました。
このような切っ掛けで井浦幸雄さんとメールのやり取りが始まり、帰国される'97.5付けの郵便で「折を見てコメントなどいただきたい」との文を添えて、'96.1~'97のライン随想録の原稿が送られてきました。
インターネットと私 (その1) 概況
ライン随想録 1996年2月2日 井浦幸雄 スイス・バーゼル
96年1月現在、米国、欧州、日本でもインターネットの進展が大いに話題を呼んでいる。
米国にくらべてかなり遅れているといわれていた日本でも、企業、 学校、 家庭でパソコンの導入が進んでいるようで、95年にはパソコンの出荷台数が前年比8割増の500万台を超え、テレビの出荷台数を上回ったという。
中高年の人までがリストラで首を切られてしまうことを恐れて、このところ急に猛勉強を始めたことがその原因らしい。
日本でもアメリカでも大学でかなりインターネットが普及していたが、これがしだいに一部のマニアから、一般の企業、個人に普及していったのが、最
近の特徴ではないだろうか。
まだ時代に取り残されると強いあせりを感ずる必要はないとおもうが、パソコンやインターネットの進展は、一般的な情報として、だれもが関心を払っておく必要があるように思えてならない。
よくインターネットでどのようなことが可能になるのか、と聞かれるが、いろいろなことが可能になり、個人個人の関心の持ち方によって当然異なると答えるようにしている。
そうは言っても、 電子メール、 双方向の情報検索、 新聞雑誌のオンラインの講読、などが目下多く使われている機能ではないだろうか。
今後、安全性の問題がクリアーできれば、オンライン・ショッピングや金融取引なども関心を集めるに違いない。
一般論は別にして、日本を離れて約七年になる私が、スイスでどのような利用の仕方をしているか、お話してみたい。
その前に、八五年から八八年のアメリカ・ワシントン滞在中にパソコン通信に関心を持ちはじめたことをご説明すべきであろう。
当時は、全米各地に草の根パソコン通信局が普及しはじめた時期で、私も地元の人との交流を深めたいと思い、チェビーチェイス・ボードという通信局を開設し、 ホビーで地元サービスに努めた経緯がある。
最盛期には地元ワシントンの約千人の愛好者がアクセスしてくれ、かなり賑わっていたが、日本に帰る時期がきたため、アメリカ人の友人にパソコン・モデムごとゆずりわたし、 東京に帰ってきた。
その間、パソコンのハードウェア、ソフトウェア、モデムと電話回線アクセスの仕方など、 多く学ぶことができた。
89年に再び、スイスでの外国勤務となったとき、 私は同じ職場の他の管理職よりパソコンの操作が格段手慣れているという状況であった。
家では当時導入されつつあったウィンドウズを研究しようとあたらしいパソコンを購入したり、スイスの通信局にアクセスしたり、 商業サービスのコンピュサーブにアクセスしたり、いろいろ研究をかさねてきた。
94年には、ワシントン時代の友人がインターネットをつかった電子メールで交信できないかとクリスマスカードに彼のアドレスを書いてきた。
この交信が可能となったことがひとつの契機となってインターネットをより深く研究してみようという気になった。
当初はコンピュサーブをつかい、市内の電話料金だけでアメリカや日本の人と交信できることが驚きであった。
しだいにインターネットの進展に興味がわき、スイス最大の都市チューリッヒにあるスウィッチという学術用のインターネット・アクセス プロバイダーに接続を申し込んだ。
サポートがドイツ語かフランス語でやや苦労したが、ダイレクトにWWWに接続できるようになたときには、世界が急に開けたような気がした。
高速のモデム、インターネット用ブラウザーなどは、直接米国から買い求めることができる。
インターネットを知るには、インターネットに接続し情報を集めるのが近道ということが実感としてわかるようになってきた。
それに膨大な量のインターネットの情報を紙にプリントアウトして読むことが非能率と思われるようになってきた。
また、 インターネットで得られた情報をパソコンのハードディスクやフロッピーディスクにとっておいて、あとから読みなおすということもあまり意味がないと思われるようになってきた。
世界中のコンピュータから瞬時にソフトや情報を取り出すことができるならば、どこから手に入れることができるかさえ知っていれば、自分のパソコンにおとして、保管する必要は無くなってしまう。
このため、ヤフー(YAHOO) などの、情報検索システムやインターネットブラウザーに組み込まれたブックマークとよばれるwwwページ記録システムは、
きわめて便利なことが分かってきた。
簡単なパソコンと電話回線につなぐモデムがあれば多くの人にとって十分な時代がすぐそこまで来ているような気がする。
アメリカの一部の会社がこういった観点から500ドル・パソコン(5万円パソコン)を売り出しそうとしていると聞いているが、良い考えだとおもう。
95年秋には、家内の翻訳の仕事に多く使うことから、東京で日本語ワープロ搭載パソコンを購入してきた。
これをスイスで使っているのだが、 家内が使っていない時をみはからって、これを用い日本のWWWページにもアクセスできるようになった。
とくに、日本の主要新聞の情報が瞬時にヨーロッパでも読めるのは非常に助かる。
日本国内で、交通の不便なところに住んでいる人も、このように衛星放送やパソコンでニュースを得ることができるのではないか。
スイスでこれほど簡単に日本のニュース、情報が得られるとなれば、世界各地でもそれぞれ必要な情報がたやすく得られることになり、ビジネス、 教育その他の面であらたな可能性が開けてくるにちがいない。
さらに、もう一つの実験として、96年の初めから、インターネットのサービス・プロバイダーをつかって、 自分のwwwホームページを作成してみた。 これも、インターネトの中にいろいろ親切な手引き情報が含まれており、きわめて低コストで実験的なページが出来ることはやや驚きであった。
ゆくゆくは、英語と日本語の両方で中央ヨーロッパのたたずまいをカラー写真と解説でつづるページなどもよいのではないかと考えている。
インターネットなりパソコンをつかったモデム交信は、 際限のない可能性を秘めており、われわれの仕事の仕方、楽しみ、教育に大きな変化をもたらすような気がしてならない。 (96年2月2日)
ライン随想録・スイス・バーゼルレポート 井浦幸雄さん 98/1/7~98/4/23
補足
この記事は1997年頃の「ライン随想録(井浦幸雄さん)」の復刻版です。
当時、私の故郷の「おふくろの味」を井浦さんがWebに載せて下さった。
この記事は住職の息子によって今も公開されています。
しかし、井浦さんの「ライン随想録」は今やどこにも見当たりません。
それで、当時お世話になったことを思い出し、復刻することにしました。
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