ライン随想録 外国語学習と日本人
ライン随想録 1997年2月9日 井浦幸雄
随想録
仕事で韓国にいったときのことである。
取引先の韓国人が「井浦さん、日本人と韓国人は語学だめですね」という。
「中国の人など、半年くらい習っただけで、もらすらすら英語をはなしている」 とぼやいていた。
こちらが英語で話しかけても、日本語で受け答えする韓国の人も多かった。
ワシントンに勤務していたときも、国際機関職員の家族の語学教室は、いつもフランス人と日本人で一杯であった。
人にもよるが、 日本人は世界でも希な、語学の学習が不得意な国民なのかもしれない。
中学から大学まで10年間も英語を学習して、ほとんど人前では話せないというのも、壮大な無駄のような気がする。
外国人、日本人自身の双方が、「日本人の外国語音痴」 を認めているに違いない。
なぜ、日本人が外国語習得が不得手なのかといつも思う。
いろいろ理由はあるだろう。
英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語のような欧米語が外国語習得の主な対象とすれば、日本はそれらが話されている地域から遠く離れている事がまず挙げられる。
これらの言葉がはなされている温にいるまっと旅行に行ったり、親戚付き会いをしたりして、自然の交流がなされることも、いままではそれほどなかった。
嶺国時代の名残りで自然な外国との交流が途絶えていた事も、いまだに尾を引いているのかもしれない。
本格的に、日本人が韓国語を習おうとすれば、欧米語より、 文法などが近く、漢字も共通しているので、より楽と考えるに違いない。
さらに、日本国内では、英語など外国語学習についての意欲、インセンティブがきわめて弱いことが指摘できる。
日本では、しっかりした家庭で日本語を習い、日本の大学で教育を受ければ、国際的に見ても、かなり高い所得の仕事を手にすることができる。
海外勤務など、いやだといっておけば、一生日本国内で仕事を続けることも可能だ。
海外旅行は割安な料金で、添乗員つきのパック旅行にでもいけば、ひとことも外国語を話さなくとも、過ごしていかれる。
外国からの映画、テレビ番組は、すべて吹き替えができているし、 外国の本もすぐに翻訳が出る。
最近では、インターネットでも、英語から日本語へ、即翻訳するソフトが出回っているらしい。
一億二千万人の人口が、日本語を話し、所得水準も高い事から、国内市場が広大で、日常生活で外国語を話さなければならないという場面は、ほとんどない。
まあ、これを可能にしてくれた明治以来の諸先輩に感謝を捧げなければならないと思う。
オランダ、ベルギー、スイス、 のような、人口の少ない国では、オランダ語 スイス・ドイツ語しか話せない人は、水道・ガスの検針のような仕事しかありつけない。
わたしの今住んでいる、スイス・バーゼルでは、ドイツ、フランス、スイスの3国国境地帯にあるため、銀行のテラー、駅の切符売り、案内所の担当者、レストランのボーイ、 などすべての職種で、最低フランス語、ドイツ語、英語の三か国語が話せないと仕事にならない。
そのため、生活のために語学学習は切実なものであり、親も子どもも、真剣そのものである。
母国語以外の言葉を話せない人は、スイスでは、所得水準の高い仕事には、けっしてありつけない。
医師も、弁護士も、会計士も、顧客にあわせて、ドイツ語、フランス語、英語、 と使い分けている。
わたしの、歯医者は、最初は英語を話してくれていたが、フランス語を習っているといったら、フランス語になり、 当地に長くなったといったら、ドイツ語になった。
中学、高校、大学のすべてのレベルで、日本の外国語教育がきわめて非能率、かつ、程度が低いのは、上に述べたような理由から、学生・生徒、親、教師、 文部省の人々の外国語に対する関心が低いためである。
これはニワトリとタマゴの関係というべきもので、 日本人外国語教師の質が低い事を批判しても、仕方がないだろう。
こうした教師のなかには意欲をもって生徒指導にあたっている人も数多くいるとは思うが、コミュニケーションの真の手段としての英語教育と受験の手段としての英語との狭間で苦しんでいる人も多いだろう。
また、日本人・外国語教師の多くが、実際に外国で十分にコミュニケートするだけの能力を持ち合わせていない事を、一般のひとは知らないし、知ろうともしていないであろう。
さらに、本当に外国語をマスターし、金融、証券、コンピューター、工学、 などのディグリーをとった日本人は、 本来、 日本人学生の語学の指導にも、もっとも適しているのだが、 給与の極めて低い日本の外国語教師などにけっしてなりたがらないであろう。
わたしは 1959~60年の高校生・交換留学 (AFS) ミネアポリスに行っていらい アメリカの大学での勉強、 15年間にわたる国際機関勤務を通じていろいろ語学の勉強と付き合ってきた。
その中で、感じたことは次のようなことである。
第一に、 日本の学校制度は腐敗しており、真の外国語の勉強は日本ではできない。
それで構わないという人は、 それで良いが、 真剣に外国で語学、 生きるための技術を習得したいひとは、アメリカ、ないし欧州のしかるべき大学・大学院をめざすべきだと思う。
第二に、 大学入試から、英語、ないし、 その他の外国語を科目としてはずすべきだと思う。
大学入試のための学習が、文法中心となり、 間違う事への恐怖心がみなを臆病にしている。
おおらかに自分を表現するという言葉の一番大切な機能を、入試が大きく妨げている。
入試に語学を入れなければ、みな勉強しなくなるという主張もあるが、 入試がなくても、その必要性をみとめ、しっかり勉強するひとは、 多くいるだろう。
入試は国語、数学の2科目で十分と思う。
第三に、観光、旅行、 留学、就職、 などのすべての面で、 日本人の海外との交流を増やすべきだと思う。
これには最近学生のうちから国外へ旅行することが増えているが、 学校での語学の勉強だけより、実際の場面でのひとことの交流が、大きな励みになることがあろう。
大学をでてから、就職をするまで、 2-3年、外国を見てみるのもよいかも知れない。
また、欧米人だけでなく、 近隣のアジアの人々の入国も、コントロールした上で、増加させた方がよいだろう。
より多くの日本人がこうした接触を通じて、「言葉はこころとこころを通わせるパスポート」という事を体得すれば、これは日本にとっても、世界にとっても好ましいことに違いない。
老齢プログラマの所感
私も井浦さんの言う語学がだめな日本人のひとりです。
10年以上中国語を勉強しているが、未だにヒアリングが苦手です。
妻に言わせると「そんなお金があるなら孫に習わせた方がコスパが良い」は自分でも納得できます。
確かに壮大な無駄です。
学習費用は妻には老人サロン参加費と考えてもらうしかありません。
「日本の学校制度は腐敗しており、真の外国語の勉強は日本ではできない」はちょっと言い過ぎかもです。
「おおらかに自分を表現するという言葉の一番大切な機能を、入試が大きく妨げている」のかもしれませんが「大学入試から、英語、ないし、 その他の外国語を科目としてはずすべき」も言い過ぎのように思います。
ちょっと過激な表現がありましたが、語学に対する基本的な考え方を教えていただきました。
でも、日本人全員が国際的に活動できる必要はないようにも思います。
補足
上の記事は1997年頃の「ライン随想録(井浦幸雄さん)」の復刻版です。
当時、私の故郷の住職の遺作「おふくろの味」を井浦さんがWebに載せて下さり、今は住職の息子によって公開されています。
当時、このようにお世話になったことを思い出し、復刻していました。
ある日突然、「ライン随想録」の目次が検索で見つかるようになりました。
私がやっていたことはnoteへの転写に過ぎないことになります。
しかし、ここから記事へのリンクは途切れています。
これが理由で、今まで検索しても表示されなかったのかもしれません。
復刻作業は、当時の記事を読めるようにしているという意味になります。
しばらくはライン随想録の復刻を続けることにします。
htttp://www.interq.or.jp/tokyo/yiura/rhein/
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