積極的分離が起きた気がする
皆さんは積極的分離ってご存知でしょうか?
私は去年の7月〜今年の1月くらいまで多分その積極的分離で相当苦しんでました。
(多分高校生の時にも分離しかけて、その時はレベル2で失敗して元に戻った気がする)
抽象的概念すぎてきっと稚拙な内容になっちゃうけど、何か悩んでる方の参考になったら嬉しいなと思って書いてみます。
きっかけ
去年の7月に高校の同級生と2人で会ってるときに「人生で一番腹立たしいこと」を言われた。
私が今は症状が起きなくなったものの、大学後半〜会社員2年目までの間パニック障害になって仕事を休職したりして苦しんでたことを知ってるはずなのに、
職場の同期が適応障害になったらしく「仕事ができなくて使えない」「彼氏にフラれただけでメンタルが弱るなんてどうかしてるって、飲み会のネタになってる」って話をしてきたのだ。
私は普段相槌をよく打つ方だけど、あまりに呆然として言葉を失ってしまった。
それなのに、無言に気がついているはずなのに、益々早口になって毒のあるエピソードを更に話す同級生。
「太陽光が眩しいからって席を変えたがるの、やり過ぎだよね」
「休職してるらしいけど戻ってきたって居場所ないよね」
そんな耳障りな言葉が鳴り止んだ後、私たちは平然を装って全然違う話をした。
遊びに行った帰り道の45分くらい、芸能人の話とかしょうもない会話を続けてたけど、最寄り駅の2駅前くらいの電車の中。
どうしても耐えられなくなった私は、ようやく口を開いた。
「ごめん、さっきの話だけど、
あなたは交通事故に遭って苦しんでる人に、交通事故にあった別の人が職場で居場所がなくなった話をするの?
火事で家を失った人に、火事にあった他の人がネタにされてる話をするの?
正直神経を疑うんだけど、だから、あなたにはまともに友達がいないんでしょう?」
混みあった電車の優先席の前で立ってたことも忘れて、思いっきり怒鳴りつけた。
人生で初めて誰かに怒った。
初めて、不満を言うとかじゃなくて、怒りだけで行動した。
彼女は、きっとシンプルにバカなんだと思う。考えなしに言葉を発せる人なのだ。
自分の言葉がどれほどの凶器になるかが分からないのだ。
大抵の人は中学〜大学で言葉の恐ろしさが解ると思うけど、帰宅部・バイト経験なし・サークル未加入でとことん人と関わるのを避けてきた子だから、単純に知らなかったのだろう。
高校の頃誰とも話が通じなくて、惰性で一緒にいた子だ。
今となれば、話なんてたいして合わないのに「高校の同級生と頻繁に会うくらいには社会性がある私」で居たかっただけだった、ツケが回ったような気もする。
でもものすごくショックだった。
自分には死んでもできないようなことをする人がいることが考えられなかった。
それまでの私は「自分への無力感」でたっぷりだった。
自己肯定感が地に落ちすぎな人生だった。
だから、自分の短所やできないところばっかりに目を向けてきて、長所やできること・良い性質をあまりに蔑ろにしていた。
でも、あまりにお粗末な人間がいることがきっかけで、逆に「自分の長所やできること・良い性質」をみざるを得なくなった。
ショック療法って奴か…?
とにかく自分の世界がひっくり返るような出来事だった。
積極的分離まで行き着くまで
その日からしばらく食欲を失い、ベッドから出られなくなった。
初めて怒りを感じたので対処法がさっぱり分からなくて、同級生に怒りのラインを送りつけたりしたけど、何も心が晴れなかった。
そして2週間後くらいになんとなく怒りが落ち着いてきたら、今度は価値観がぐらついて、更に体調が悪くなった。
偏頭痛持ちだけど、怒りが落ち着いてきたら更に頭痛が酷くなったり、とにかく情緒不安定の最大値って感じだった。
「私はこんなに誰かを怒らせたことがなかったってことは、意外と良い奴なんじゃないか?」
「ずっと自分は友達が少ないって思ってきたけど、昔から常にコンスタントに会える友達5人以上は居るし、それは大きな誤解だったんじゃないか?」
「今まで「いい子だな」って思ってた友達は、本当は「都合が良いな」って話なんじゃないのか?」
最初はこれくらいの「今までの行動ちょっと間違ってたわ」レベルの内省だったんだけど、1ヶ月以上かかってレベルが上がっていった。
最終的に「今までの価値観結構間違ってたわ」まで行ってしまった。
「そもそも自己肯定感が低いのは「自分が周りから評価されるところまで行ってない」と感じていたことが原因だけど、シンプルに「周囲の評価」って何だ?それってどこまで行っても自分の作り上げた虚像だから、一生満たせないものじゃないか?それを満たすために自分の人生を預けて大学や就活頑張ってたのって愚か過ぎる」
「「周囲の評価」の表面から見える部分はきっと「自己肯定感を保つため」なんだろうけど、その本質は「自分の答えや欲求を探せない・求められない未熟さなのかもしれない」
「周りから評価されるように生きなきゃいけないって思って生きてきたけど、それって私を蔑ろにした親と同じ生き方じゃない?自分と自分の大切な人に評価されたら、「周囲の評価」「世間体」が無くたって自分のことを保てるはずだし、代わりに必要なものは「信念」「情熱」や「周りから見下される必要」かもしれない」
こんな感じで、自分が今まで「周囲の評価」「世間体」に自分の存在価値を委ねていたかを、その価値観が自己肯定感を始めとしたメンタルに悪影響を与えていたかを自覚した。
そんな中、偶然noteに行き着いた。
これを読んだ瞬間、私に起こったことが文章化されてる!!!!!ってなって咽び泣いた。
(私がギフテッドかどうかなんですけど、以前WAISで測った時にはIQ116だったから、正直どうなんだろう…微妙かな…?
受けたのパニック障害がまだあって結構調子悪い時だったのもあるし、ギフテッドってIQだけで判断できる訳じゃないので、とりあえず私ギフテッドなんだよテンションで今日は書くことにします)
(その時の記事↓)
私なりの積極的分離(レベル2・3)の解釈
※ここからは上のURLを参照しながら読んで欲しいです。
同級生に怒りを感じるまでの人生、私は「自分の人生の進め方」に関して、レベル1とレベル2を行き来していた気がする。
でも上に書いた「今までの価値観結構間違ってたわ」状態になって、レベル3が始まりつつあった。
つまり、以前までは「周囲の評価」「世間体」と「自分の情熱」、どっちを優先すれば良いんじゃい!って状態だった。
これがレベル2の状態。
一本の直線の端に、「周囲の評価」「世間体」と「自分の情熱」がそれぞれ位置しているイメージ。
「いい子ちゃんな羨ましがられるような優等生にならなきゃ」って願望と「自分の人生ゴーイングマイウェイしたい」って願望が共存しているイメージ。
URLのレベル2の説明に「アンビバレンス」ってある。
アンビバレンスはつまり「痩せたいけどご飯食べたい」みたいにどっちも叶えたい状態だから、どちらかは絶対に叶わないんだよね。
ジレンマ発生。
でも「今までの価値観結構間違ってたわ」状態になってから、レベル3に突入。
「周囲の評価」「世間体」と「自分の情熱」に加えて、「自分の信念」が3次元の軸として入ってきた。
つまり、数学チックに言えばこうなる。
X軸:周囲の評価や世間体
Y軸:自分の情熱
Z軸:自分の信念(価値観)
Z軸のベクトルをはっきりさせれば、X軸やY軸もどれくらいの数値を取れば良いかの指標になる。
∴自分の信念(価値観)を得れば、周囲の評価や世間体も自分の情熱もどれくらい取れば良いかの指標になるということなのではないだろうか。
レベル4になってから
このレベル3が収束してから、他の状況でも同じような状況(つまり二次元→三次元)が度々発生して、それに追いつくのに4ヶ月くらいかかった気がする。
なので、多分今はレベル4の途中なんじゃないかな…?
具体的には、
・人との交流に対してのフラストレーションが多かったのがほぼ無くなって、相手を割と容易に受容できるようになったので、怒りとか不満が減った。
・今まで白黒思考が強かったのが、レベル3収束後大抵グレーで済ませられるようになった。神経症の頭痛とか腹痛の頻度がうんと減った。
(X・Y・Z軸どれも数値ある状態を取れるようになったんだろうね)
(この例えを使うと、レベル2だと数値が取れない状況)
・今まで苦手・嫌いだった人に会っても動じることがかなり減った。人の言葉に振り回されなくなった。「この人は違う立場と脳みそで物事を考えているんだから、振り回されても時間の無駄だよな」って思うようになった。
つまり物事の受容レベルが上がりつつある。
その結果最近は抑圧していた感情が、たくさん無意識下から意識下に移動して、価値観が変わりつつあるのだ。
(これもその結果受容したよって話↓)
まとめ
ちなみにレベル2・3の時が一番体調が悪かった気がする。
レベル4は体調は悪くないけど、自分の行動や考えが今までと違くて動揺は相当する。てか今もたまにしてる。
以前通ってる心療内科で積極的分離が起きてるかもしれないと話した時に、先生は手元のストップウォッチを片手で持ってくるくる回しながらこう言ってくれた。
「今まで2次元で数字が出る面しか見たことなかったのに、くるくる回して色々な方向から見れるようになったんだ。驚いて当然だからそんなに気にしなくて良いんだよ」
その例えに乗ると、最近の私は「180度回転させると電池の蓋あったんだ!」ってなってるってことかな。
確かに私もう26年も生きてきたのに、最近は見えるもの聞こえるものが日々新鮮。
昔よりよく泣くし、よく笑う。子供みたい。
5年前には、そこそこ良い大学入ったしあとは大企業入って同スペックの男と結婚して子供は2人!って思ってた大学生だったのに、人生って何が起こるかわかんなすぎる。
何かに当てはめずに、柔軟に、でも自分を持って生きていきたいな。
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