2025年、初夜にて思うこと
明けましておめでとうございます。
今、ドイツにて2025年の初夜を過ごしているところである。世間は新年を祝い、人それぞれに今年の目標やら抱負を掲げているところであろう。
同様に、僕もこの一年間をどうするのかを考えるとする。
今から少し季節を遡った頃、僕は大きな決断をした。周囲の環境を全て変え、ドイツを新天地に決めた。
ヨーロッパの経済大国であるドイツで働きながらビジネスを学び、海外で生きていく強さを身につけたかったからである。
周りから「若いうちの良い挑戦やな!」
「頑張ってこい!」と激励を受け、何かをした気分になっていた。
が、自分が外国人として飲食店で働き住み始めた今、特に何も変わっていない。場所が違うだけで日常はさほど変わらない。何をしに来たのかと悩む時間が増えた。
周りのレベルが高い環境で働く今、多言語習得者や若い経営者が活躍している。
まだ何もしていない自分と圧倒的さを感じる。
そこで、自分は若い訳でもスペックが高いわけでもないと知った。
要するに、
その人に“何ができるか”が重要
スペックを見るのではなく年齢や国籍などの身ぐるみを剥がされた自分の実力を試されている。
言語ひとつ、皿洗いひとつの力を舐めていた。なぜなら、Googleで働いていた方がお皿を洗っているのである。仕事に対する姿勢や隙のなさなど、本当に多く学べることがある。
「仕事をする」ということを深い意味で考えれるようになった。
大きな目標を掲げ、少しずつ自分の階段を上がる人が周りにたくさんいる。
今の自分には
その登るべき階段(目標や夢)
が見当たらないのが正直なところである。何も考えず時間だけが過ぎて置いていかれる感覚が嫌だ。焦る必要は無いが時間を無駄にできない。そこで今の自分にできる事は“登るべく階段を見定める”ことである。
環境を活かし、全て吸収する。
周りの人から身になることを吸収し、目標を決めることである。自分を鍛えるのである。
海外で夢を立て生きていくことは非常に困難だと思う。だがそのおもしろさを求めて生きている。
早くその階段を見つけて登れるように、今年はみっちり鍛えようと思う。
回りくどく、アバウトな目標になったがこれにて2025年の抱負と締めくくる。