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ありのままの自分でいるのは悪いこと



発達が遅れていた私


子どもの時から気持ちが晴れていることがほとんどない。
一日楽しいことしかせず遊んでいるときでさえ、なにか罪悪感がある。

この状態がまずあって、おそらく何かが欠けているから、それさえあれば、楽になれるんじゃないか、というのがこれまでの行動の動機である。

欠けたものを埋めるという努力はある面では実った。
浅い外側だけ見たら、現在の私はとりたてて困っているように見えないどこにでもいる普通の主婦だと思う。
どこにいっても警戒されることなく受け入れられる。

このどこにでもいる、そこらへんを歩いてる普通の人になりたい、というのは、私が子どものころに強烈に願っていたことである。

早生まれも多少関係あったのかもしれないが、私は発達が遅れていたと思う。
小学三年生でカタカナが十分に書けなかったことを覚えている。
周りについていけず、身の回りのことがめちゃくちゃで、基本的にずっと困っていた。

母は当時はめずらしい正社員のワーママで、誰の助けもなく力技で子育てと仕事の両立をしていた。
父は昭和の男で洗濯以外はしなかったから、母は99%の家事を負担しながら私と弟を育てたことになる。

母が忙しすぎたので、自分の問題は自力で対処するしかなかった。

時間割が読めなかったので忘れ物対策に全ての教科書をランドセルに入れて持って行ったり、教室移動の際は目星になるクラスメイトを覚えて必ずついていくようにする、などである。

それでもたまに取り残されて誰もいない教室で困り果ててみんなが帰ってくるのをぼーっと待っていたこともある。

全部の教科書を持って行ってるはずだが忘れ物もしょっ中だった。

鍵っ子だったが、三回に一回はなぜか鍵が開かないのでパニックになって同じマンションの友達の家に泣きながら助けてもらいに行ったりもしていた。今思えば相当迷惑だと思うが、家に入れないというのは死活問題だった。

宿題はまったくした記憶がない。

そんな子どもだったので、当然劣等感のかたまりで、私は「みんなと同じになりたい」と思っていた。
どうしたらいいのかは分からないが、みんなが何気なくできていることを、あたりまえにやって楽しみたかった。

中学生の時、自分の外見の整え方がわからず、ぼさぼさ髪を後ろで一つ結びをして眼鏡をしていた。
同級生が体育の体操をしている姿すらイケて見えて、腕の振り方など必死にまねていたのを覚えている。

当時も毎日気持ちが暗かったが、それは自分が人並みのことが全くできていないからだと思っていた。
みんなの中に混ざり、あたりまえのことができれば、明るく生きられるに違いないと信じていた。


自立すれば息ができる


母は「自立」という価値観をつよく握りしめている女性だった。
実家と絶縁していて、父とも不仲だったので、おそらく母を支えているのは仕事とそれに伴う収入だったからだと思う。

私も母になった今思うが、子育てと正社員の仕事を誰の助けもなくやる大変さは尋常じゃなかったと思う。
週末休みの朝、母は早朝からひとりでかけて山に登るようになった。
がむしゃらに山を登らないとおかしくなりそうだったんだろう。

そんな母をみて育ったので、「自立」というのは私にとっても引力のある価値観になった。

新卒で入った会社が、出張で全国を周る販売業だったので、ほぼ自宅に帰ることがなかったのに、頑なに一人暮らしを辞めない私に上司は「家賃がムダじゃないか」と言ったが、

「私がどんな人間でも、自分のお金で家を借りて生活をしていることで、堂々としていられるんです」

と答えた。
自立している、というのは私が人並みの位置に立つために絶対に必要なものだった。
初めて就職して自由になるお金が持てたことは、それまでにない自信と安心になった。
しかしずっと地方のウィークリーマンションを転々として人と会わない生活をしていたので、この先も何十年も続けることを考えると行き詰まりを感じて、三年目で辞めた。

周りは結婚に目を向け始めていたが、私はほとんど恋愛に興味がなく、仕事をどうするかばかり考えていた。
何かして自立しなければならないが、私にはスキルも関心がある分野もないように思っていた。
できそうなことはなにか?と探した。

子どもの時、私がしていた遊びはほぼ一人で絵を描く、パソコンで文章を書く、本を読むなどで、それは学校で劣等生だった私が唯一褒められることがある分野だったが、それを仕事にするというのは考えられないことだった。

私にとってそれは「遊び」であり、遊ぶのは子どものすることだった。

私はいまだにどこか幼く夫からは子どもおばさんと言われるが、自分としては小学生で「子ども」を卒業しているつもりだ。


子どもでいるのしんどい


小学校三年生の時、弟がうまれると、びっくりするぐらい母は弟をかわいがり始めた。
当時の思いを言語化すると、

「お母さんってこんなにお母さんっぽい気持ちあったんだ」

という驚きである。
母は私に対してはほとんど関心がなく、持て余しているふしがあった。
別にご飯をくれないというようなことはなく、世話はきっちりしてもらったのだが、私は母に抱きしめられた記憶がいくら頭を振ってもでてこない。

しかし弟はそれからずっと母の膝の上にいた。
小学生の私はこの状況をどう捉えていいのか分からなかった。
一応私もこの家の子どもであるはずだが、なんで可愛がられないんだろう。
それを訊くのはいくら子どもといえど簡単ではなかったが、つい口からこぼれてしまったことがある。

「なんで弟ばっかり可愛がるの?」

すると母は答えた。

「だって弟ちゃんの方が可愛いんだもん」

母がいじわるなことを言うのはよくあって、いつもなら私も負けじと憎まれ口を返すのだが、その時は何も言い返すことができなかった。

この家で子どもでいるのしんどいな。

子どもでいるからしんどいんだろう、と思った。
私はひょうきんキャラで、奇をてらうようなことをして人の気をひく痛い子どもだったのだが、それをぱたりと辞めることにした。
小学5年生で私は大人になることを決めた。


念願のふつうの大人になったぞ


大人のふりをするというのは大人になった今も続いている。
絵をかいたり文章を書いたりすることは、仕事にしてみようと考えることすらすごく抵抗があった。
それはまるで私を見てと駄々をこねる子どもみたいなことで、私にとっては恥ずかしいことだった。

私は大人だから、自立しなければいけないから、何歳になっても続けられそうな保育士になることにした。

保育士は現場に入った初日に、強烈な場違い感があった。
だけどトータル10年ほど続けた。
なぜなら私はこういう人間で、こういう専門スキルがあります、と言えるようになりかったからだ。
そうすれば楽になれると思った。
腰につけたゴムベルトを家の柱にくくりつけて出勤するような毎日だった。

そんな中、結婚して子どもを産んだ。仕事は保育士。
外側は当時私が思っていたどっからどーみても普通のおばさんのイメージまんま。
切望していたそこらへんを歩いている人である。



ありのままの自分はクズ


念願のふつうのおばさんになったが、相変わらず鬱々としていた私。
仕事を心から楽しめないせいではないかと考え始めていた。
仕事を楽しめるようになれば、楽に生きられそうといういつもの思考パターンである。

ある日何気なくYouTubeを見ていたら、八木仁平さんという人が相談者に向かって熱弁をふるう動画がでてきた。
「ほんとはどう生きたいの?」
「なんで魚なのに陸で生きようとしてるの?」

それまで自己啓発系の本などほとんど読んだことがなかったので、それらの言葉が衝撃で見入ってしまった。

八木さんは自分の気持ちにしたがって、本来持ってる個性を活かすことで夢中に生きられる仕事になるんだと熱く語ってくる。

でも、と思った。ありのままの自分って、すごくワガママな感じがする。

私が大学生の時、SMAPの「世界にひとつだけの花」という曲がはやった。
みんな特別な種類のちがう花なんだから、それを咲かせればいいんだよ、という歌詞である。
その歌が私は嫌いだった。
なぜかというと、

「私が私でいることでどんだけ苦労してると思ってんだよ」

みたいな感じである。
社会に適応できる、みんなが許容できる、ちょーどいい個性だけを花に例えているように聴こえていた。

でも動画の八木仁平さんは言う。

「そんな自分を自分だとあきらめるんだよ。そんな自分可愛いなーって思えばいい」

思えなさすぎて戸惑いながら、八木さんの勧めるワークをやってみる。
その中で、「死ぬ前に思うとしたら」みたいな質問だったと思うが、

「こうした方がいいのかな、ということに時間を使いすぎた。もっと心のままに生きればよかった」

と答えた時にやっと自分の間違いを認められた。

「あー、私はこのまま自分の形を変える努力を続けた結果、死ぬ前にこんな風に思うんだな」

例え社会に適応できず、みんなから受け入れられなかったとしても、心のまま好きなことやれたら、そっちの方がいいじゃん。
これまで、とてもそうは思えなかったけど、これまでの経験や年齢を経てやっと素直に思うことができた。

しかし「今一番やりたいことは?」と聞かれても、

寝て、起きてYouTubeとネトフリみて、漫画よむこと。
それか、究極なんにもしたくない……。

こんな有様で、ぜんぜん生産的なことを思いつかない。ましてや人のためになにかしたい気持ちが全くない。

ありのままの私ってただのクズでは。




私はまだ私を諦められなかった



もう41歳だけど。
でも笑われても、人にどう思われても、死ぬ前に後悔するよりはいいか、と思えた。

もともと子どもが小1になるタイミングで、いったん休職しようと考えていた。
娘は私の児童期よりはるかにしっかりしているが、どうしても自分が当時苦労したこともあり、娘の環境の変化をサポートしたかった。

この機に自分と向き合おう。
保育士ならまた望めば復帰できる。

夫に相談して、申し訳ないなと思いながらしばらく専業主婦をすることにした。
それで生活できなくなるわけではないが、夫もべつに仕事が楽しくてしょうがない!というわけではない。
だから悪いなと思った。

現在、失業手当と、在宅で保育園の装飾づくりでわずかに収入があるだけ。
本来「自立」というのは私の中で無視できないくらいには強い引力のある価値観である。

ふつうに生活しているだけですごく罪悪感がある。

望んだとおり子どもをしっかり見てあげられるし、家で迎えられる。
自分とも一度向き合おうと決めたから今こうしてるし、これでいいはずなんだけど、落ち着かない。

気づくと求人検索して、できそうな保育系の仕事を見ている。

でも申し込むまではいかない。
だってこの繰り返しで私は私を幸せにできていない。
自分をあきらめられない。


ありのままの自分でいるのは悪いこと



どうやら自分が本当はなにを望んでいるのかを、頭ではなくて心からの欲求で感じる必要があるらしい。

現状、仕事になるかどうかは置いといて、気の向くことをやってるはずだけど一向にこれだ!という感覚もなければ気が晴れる気配もない。

例えば、最低限の家事以外なんもせず一日YouTubeをみる。
例えば、家族とサイクリングして、おいしいものを食べる。

でも、何をしても心が暗いのだ。
楽しさを感じた瞬間、心が黒い布で覆われるような感じがする。
これは罪悪感だと思う。

そんな時、小田桐あさぎさんの「私、ちゃんとしなきゃを卒業する本」に出合った。

罪悪感というのは「常識」と「自分の本心」が剥離したときに生まれるもの。
つまり、人目があるから一応「悪いと思ってますよ~」というポーズをとっているだけで、自分の本心では「悪いとは思っていない」とき、自分の中に調整役として巻き起こる感情。それが罪悪感の正体なのです。
(中略)
人って自分でも悪いと思っていることは、罪悪感のあるなし以前に、そもそも行動の検討すらしないんです。
(中略)
あなたにもありますよね。一般的にはよくないって自覚しているのに「選んでしまった」「選びたいと思った」選択肢。そこにこそ他人の価値観に左右されていない本当のあなたらしさが隠れているのです。
自分の選択に罪悪感を感じたら「私、本当はそうしたいんだ」って認めてみましょう。

小田桐あさぎ
「私、ちゃんとしなきゃを卒業する本」

そうか、罪悪感は私の本心なんだ。
本心を素直に感じられないのは、これが悪いことだと無意識に抑え込もうとしているからなんだ。

やりたいことするなんて子どもみたい。
なんにもせず自由でいていいわけない。
仕事せず夫のお金で遊んで楽しんじゃいけない。

本心は、

私は絵や文章を書いて表現したい。
私はしばられず自由でいたい。
私は子どもみたいに遊んで楽しみたい。

これがやっと解かり、気づいたときに泣いてしまった。

そうか、私は私に禁じていたんだな。

子どもみたいに無邪気にやりたいことやって自由に遊ぶことを悪いことだと思っていたんだな。

そういえば八木仁平さんとの相談会に行ったとき、「本当はどうなりたいの?」と聞かれて、たまたま先週みたイッテQのターザンのキジーが浮かび、

「ターザンみたいに自由に暮らしたいかも」

となんとなく答えたところ、八木さんが「それだよ!」と言うので、
「いやいやいやいや、そんなはずはない、ターザンにはならないですよ!」
と抵抗したのだが、今思えば合ってたな、と思う。

八木仁平さんすごかった。また別記事に書きたい。



すぐに変われるわけではないけど



ターザンみたいに、子どもみたいに、自由にこの世界を楽しみたい。
これが本心だと気づくと、これまで強力な引力のあった「自立」も私の価値観ではなかったことが分かった。

これは母の価値観だ。

私が職についていると嬉しそうで、
「働いてるとイキイキしてるね」
と必ず褒め、仕事を辞めたと聞くと機嫌が悪くなる。

無職のときに一緒に歩くと、街に貼られた求人票をみつけるたびに「ほら、募集してるよ」と指さすので恥ずかしかった。

私は娘になんでもいいから職につけとは思わないのにと不思議だった。

それぐらい母にとっては働くこと=生きることだったのだろう。

これから、いずれは仕事を探すことには変わりないけど、ずっとあった強迫的な思いは薄らいだように思う。

まだ完全に解放されているとは言えないけど、こうして思いを文章にしたり、イラストを描き殴ったりしてみている。
始めるまでは、これがやりたいという感じはなかったが、けっこう楽しいし、書き始めたら止まらなかった。

今は「安心してこの世界を楽しんでいいんだよ」と自分に言ってみたりしている。




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