灘の元英語教師が語る、勉強する理由
かつて英語教諭として灘校や西大和学園に勤め、500人以上の教え子を東大に合格させた実績をもつという、木村達哉氏の主張に共感するところがありましたので、以下ポイントを紹介したいと思います。
灘校の生徒たちに、何が何でも勉強しないといけない、とは言わない。
勉強をせず、他のことをがんばっているのであれば、何も生徒に言わない。
スポーツでも音楽でもなんでも、打ち込んでいるものが一つでもあるのなら、それが勉強に向かうのを待つ。
何一つ努力していない生徒には「何か始めたほうがいいんじゃないかな」とは言う。
「なぜ勉強しないといけないんですか」と聞かれたときは絶好の機会であり、その生徒と向き合ってじっくり話をする。
勉強は自分のレベルを上げること、まずはそれを伝える。
人にやらされるものではなく、自分のレベルを上げたいなと思ったときに人は行動する、それを勉強と呼ぶ。
勉強すると確実に力がついてくるので、勉強前よりも人生が楽しくなる。
できなかったことができるようになるのだから、楽しくないわけがない。
できるようになれば、自分の力を誰かに使ってほしくなる。
勉強は自分の幸せと他人の幸せにつながる。
勉強する人としない人では年収が違ってくることも包み隠さず生徒に伝える。
力がついた人とそうでない人、他人を助けられる人とそうでない人では、神様からいただけるプレゼントの量は当然異なるはず。
あとは自分で考えればいい。
勉強しなさいとは言わない。
自分で立ち上がるのを待つのが最善手。
なるほど、たしかにそうなんだろうな、と思いました。
木村氏の意見に全く同意で、余計な解説は不要だと思います。
親や先生は、子どものハートに火をつけるのが役割なのではないかという気がしました。
我が家は中学受験では、完全に親主導でした。
これからは息子が自分で考え、立ち上がってくるのを見守ることに徹したいと思いました。