#1 還暦オヤジが1級建築士を目指す
1級建築士とは?
多くの方は1級建築士という職業を聞いたことがあるだろう。
その多くは設計を生業とし、この職業には知的な響きがある。
1級建築士になるには国家試験があり、合格率は約10%の難関試験だ。
良く知られた難関資格の代表格は天気予報士、TVなどでインテリタレントがその資格を持っていると紹介されている。
約5%の低い合格率を突破したタレント達は自慢げだ。
一方、芸能界では異色の資格なのか? オヤジの敬愛する田中道子が一昨年(2022年)、1級建築士試験に合格して話題になった。
医者と弁護士を比較するのと同じように、
分野が異なるので、比較自体にあまり意味はないが、
「1級建築士と天気予報士のどちらが難しいのだろう?」
合格率だけを見ると、天気予報士がより難関に見えるが・・・
ただ、天気予報士に受験資格の制限はなく、
子供から年寄りまで学歴も経験も必要ない。
試験は半年毎に実施されている。
片や、建築士を受験できる資格のハードルはかなり高く、
その多くは大学で建築を学んだ強者達だ。
しかも試験のチャンスは年に一度切り。
受験者レベル、試験の頻度を考慮すると、
「1級建築士は天気予報士と同等以上に難関試験なのだろう。」
一五オヤジはこういう点にこだわる。
「すまん、話を戻そう。」
この試験には、さらに、年配者にとって厳しい現実がある。
試験元が公表しているR5年の合格者の年齢別占有率をみると、
20代が約65%、40才以上のひとくくりで約10%、
50代、60代などはマイノリティ過ぎて内訳の対象にすらならない。
また、40代以上の合格者占有率は、
学科の約15%から、設計製図では約10%に大きく下がっているので、
年配者にとって設計製図試験はより厳しいものとなっている。
まして、「学歴なしのほぼ素人が建築士を目指す」って、
意味わからんだろうな?
一番の動機は自己顕示欲なのだが、
簡単に一五の生い立ち/バックグラウンド、
そして、建築士を目指した経緯・きっかけなどを紹介しながら
オヤジ心に同感してもらえると嬉しい。
オヤジの話は主旨から脱線、寄り道多いが、
お付き合いいただけると幸いである。
建築家を夢見た少年期
一五少年は小さい頃から建物に興味があった、特に住宅。
自宅は三軒長屋の真ん中、五右衛門風呂、ぼっとん便所の臭い香る、
すき間風が抜ける木造の借家だった。
当時はまだサッシ窓が少数派、鉄筋住宅の普及期、
それらを見つけては近代的な家に憧れた。
内向性の一五少年、自宅で住宅の間取り、
空想の建物・街を描くのが好きだった。
「変化に富んだ空間、楽しいしかけのある建物」
おぼろげながら建築設計をしている将来像を描いていた。
夢を無くした青年期
中学、高校と成長するにつれ、幼い頃の夢はかすみ、
一五青年は将来像を描くことも具体的な目標を持つこともなくなった。
第一志望に落ちて、建築よりつぶしがきくと思い私大の機械科に入学した。
浪人、留年、そして教授の情けで大学を卒業した。
当時、一五青年の愛読書は麻雀放浪記、
阿佐田哲也は神様、マージャンと酒はよく学んだ。
100人近くの学科生の中、下から3番目、私より下の二人は2留した。
ちなみに運転免許の学科も落ちた、とことん勉強嫌いの劣等生だ。
一五オヤジに努力、真剣という言葉はない!
社会人時代(超ブラック入社~定年退職)
会社は落ちまくり、秋風が吹くころ超ブラック企業に内定、
長期出張でプラントの機械設置やメンテナンスなどの現場監督、
新人の一五青年は職人達にこきつかわれる。
ほぼ作業者、作業服は常に油と粉塵で真っ黒だ。
この会社に7年在籍したが、
5K(危険・汚い・きつい・給与が少ない・休暇が少ない)
に嫌気がさして辞めた。
(この会社のブラックエピソードはキリがないので後ほど)
おりしもバブル最盛期、多くの会社が来る者拒まずの時代、
5Kのイメージが少ない外資系にあこがれ、
最初は外資系半導体製造装置メーカーに転職した。
その後、外資系製薬企業、外資系化学メーカーと、
外資系を渡り歩き60才で定年退職した。
この間、主に管理部門で総務・施設/設備管理を担当し、
何度か会社の建物新築プロジェクトに関わった。
設計・施工など実際の仕事はゼネコンまかせ、
施主は要望事項をまとめて、擦り合わせた内容が実際の形となっていく。
大手ゼネコンの担当者は営業に至るまで1級建築士、
彼らの仕事ぶりがスマートでかっこよかった。
建物・建築好きのオヤジ、用もないのに職場を抜け出し、
現場の進捗を見にいってはゼネコンの担当者にアレコレ訊ねた。
最後の外資系化学メーカーでは、
事業所の所長として定年まで残り1年を迎えた頃、
本社の指示でリストラを断行。
これで多くの所員の反感を買い社内の居心地が悪くなった。
定年退職後の不安から、定年延長したかったが、
サラリーマン生活に終止符を打つことにした。
特段の達成感もなくモヤモヤ感の残る社会人人生だった。
自分のやりたい仕事を楽しんでやっている人達を見るとうらやましい。
もう一度、高校生にもどれたら・・・いや、浪人、学生の頃でもいい、
かなわぬ夢だが悔いのない時をやりなおせたら・・・と思う。
定年後の職業訓練・パート事務
還暦オヤジの気持ちはすでにバカンス、切り替えは早い、
しばらくの間、定年退職の解放感に浸る。
暇な時間に飽きた頃、
ハローワーク(ポリテク)で建築系の職業訓練を見つけ、
「住環境サービス」というコースを半年間受講した。
CADも勉強できて、ノコギリ、金づちを持って作業実務も体験できる。
とても新鮮な経験で、同じコースを受講した仲間にも恵まれ学校に行くのが楽しかった。
30数人の受講生、女性が7割、還暦オヤジには心躍る環境だ。
オヤジは最年長だったが、不思議と違和感はなかった。
(この時点で建築士など頭の片隅にもなかった。)
アッという間の半年間、
学生願望のオヤジは楽しかったポリテクを卒業する。
建築関係の仕事に関わりたいと思ったが、経験がないので、
比較的ハードルの低いイオンのリフォームでパートを始める、61才。
主な仕事はガスコンロ・給湯器などの取替え窓口業務、
技術的知識が必要ない誰でもできる仕事だ。
想像していたリフォームとあまりにも違い、
もう少し、建築的な仕事に関わりたかった。
Indeedで見つけた小さな設計事務所のパート事務に転職、62才。
事務雑用と1級建築士の先生が描いた下書きをCAD化するのが主な仕事。
末端パートのオヤジは家だけでなく事務所での立場も低い。
ときどき大きな声で怒鳴られる。
「さっきも言ったよね?💢 何度も言ってるよね?💢」
先生、周囲のイライラ感が伝わってくる。
「へいへい、あんたが大将😒」かげで舌打ちする。
建築士を目指すきっかけ
その頃、ある集まりで自己紹介ならぬ自慢紹介があった。
恥ずかしながら、これといって人に紹介できる自慢事など持ち合わせていない。
「カレーライスのルーを残さずに食べるのが特技で、これで周囲にマウントを取るのが快感でーす」と、つまらぬ紹介をして失笑された😓
何か、人に誇示できるものがあれば・・・、
一五オヤジ、ぐうたらにして自己顕示欲だけは強い。
ちょうどコロナ禍、パートはポツポツ、暇を持て余していた。
この年(2020年)、建築士試験の受験資格が緩和されている。
建築士への夢が頭をよぎる。
学歴、まともな経験なく、この年で建築士の資格を取れたら自己紹介ネタは安泰だ。
低い立場の末端パートを見る目も少しは変わるだろう。
ボケ防止の勉強も悪くない。
そんなオヤジは運転免許以外、まともな資格をもっていない。
現役在職中は「仕事が暇な奴に限って資格をたくさん持ってる」と強がっていた。
建築士を目指す!
年が明けて2021年初春、63才、書店で2級建築士試験のテキストを手に取る。
幼い頃に夢見た建築士、長い年月を埋めるかのような第一歩だった。
★この年(2021年)に2級学科独学合格
★製図はS院で2級にストレート合格
★2023年に1級学科独学合格
製図は気力続かず挫折、2024年度の合格を目指している。
一五オヤジの1級建築士挑戦、応援していただけると嬉しい。