世間は小山田信茂をまだ、どう、観ているのか?
「小山田信茂公は裏切り者にあらず」
というスタンスで大月市を本拠に活動される小山田信茂公顕彰会。
前身にあたる小山田情報館活動から、10年になろうとする顕彰活動だ。もう、すっかり大きな団体になり、その声は大月に留まらない。ひとえに会長の尽力あってのことと、頭の下がる思いである。
夢酔はせいぜい末席で、すみっこに居座っているだけに過ぎず、精力的な皆様に声援を送るのが関の山という塵芥な存在に過ぎぬ。
さて。
これほどまでに支持され、定説の矛盾を声に出してきた。
その成果は、世間でどう受け止められているのか。
客観的に俯瞰してみた。
Yahoo!の検索で、態と「小山田信茂 裏切り」というキーワードを挙げてみた。世間の声が変わっていれば、十分に拾える声があるだろう。
①【戦国こぼれ話】武田勝頼を裏切った小山田信茂。実際には、本当に逆臣だったのだろうか(株式会社歴史と文化の研究所代表取締役:渡邊大門)2021.3.13記事
「(前略)とはいえ、今後は信茂の裏切りだけでなく、総合的な研究によって、再評価が行われるとのこと。大いに期待して、待ちたいと思う。」
②【歴史人】末代まで裏切り者の汚名を着た武田二十四将の一人・小山田左衛門尉信茂(作家:江宮隆之)2020.12.13記事
「(前略)勝頼は滅亡し、信茂も一族諸共に信長によって誅(ちゅう)された。結果として信茂は、自らを犠牲にして領民を守る領主としての責任と使命に殉じたといえよう。なお、信茂が信長と交わした「郡内領不犯」という裏切りの条件は、信茂の死後に家康に委ねられ遵守され、郡内領は戦禍から免れた。信茂の享年は44。以来、信茂は裏切り者の汚名を着続けている。」
とは申せ、まだまだ定説に縛られて、その行為を「裏切り」と評価し過小視する傾向は続いているようだ。
山梨県が再評価した映像作品も制作されたが、世間は一度張り付けたレッテルを容易に剝がしてはくれないらしい。
しかし、結果だけで語るのは真実に程遠い遠吠えともいえよう。
夢酔は先代小山田了三氏からの御縁ゆえ、こちらの顕彰には好意的であるが、それさえも私的なことに過ぎず。お前こそ目を覚ませよと云われているようにも受け取れる。しかし、経過を重視するのが作家であるというのが我が心情である。
現代や後世の価値観で張られたレッテルに、疑うのが使命ではないか。
当時の価値観からいえば、何が悪いのか。
そこまで踏み込んで考えないといけない。
小山田信茂公顕彰会への、皆様の御理解と声援を心から期待したい。
追伸 でも、小山田の本拠は谷村だよ。こちらの静観は……寂しいと思う。