異形者たちの天下第4話-6
第4話-6 大坂という名の天国(ぱらいそ)
その頃、服部半蔵は敦賀湊にいた。
石田三成と思しき人物はまだ到着していない。
(しかし、ただならぬ気配が)
変装しているのだから、断じて服部半蔵とは誰にも判らない筈である。にも関わらず、気配は明らかに自分を視ている。老いて感覚の鈍った半蔵にもはっきりそれが判るのだ。
(思えば京を出てからずっと視られていたような気も)
しないではない。すると視ているのは忍ノ者か、それとも埒外の漂白民か。
慎重に辺りを窺った。
往来の激しい湊である。誰もが無関係のようであり、誰もが怪しげに映った。
「困るな、立ち止まって貰っては」
編笠を被った浪人風の武士が後ろから声を掛けてきた。半蔵は慌てて退こうとしたが、その表情を盗み見て、愕然となった。浪人は関ヶ原で死んだ筈の三成家臣・島左近勝猛だったのだ。
「如何した。服部半蔵ともあろう男が、死人が生きていたなどという程度で驚いているのかね」
島左近勝猛は涼しげに笑った。
「ずっと儂のことを視ていたのは、貴方か」
半蔵は忌々しげに呟いた。
「いや、それは私です」
突如、背後から声がした。いつの間に後ろを取られたものか。
「徳川の忍びはこうも堕落したのかね。鬼の半蔵と呼ばれたのも昔話だね」
「お……おまえは」
「名前なんかあってないようなもの。強いていうならば、武田の飛び加藤とでも云うておこうかの」
「飛び加藤!」
忍ノ者の世界で飛び加藤の名は伝説である。幻術を用いる伝説の達人として知らぬ者はない。が、まだ生きていたとは……。重ねた齢は相当なものだろうから、その名を出されても、俄に半蔵は信用できなかった。
それよりも、島左近と飛び加藤とは、些か解せぬ組み合わせではないか。
「それを取り持ったのが俺さまよ」
また不意に声がした。振り向くと小男が鼻を啜っていた。
「おまえは……真田の草?」
「佐助だよ。猿飛佐助さ」
そういって陽気に鼻を啜る若い忍びは、一見、薬の行商を装っている。またしても気付かぬ間に、半蔵は間合いを奪われたのだ。
この現実は、忍びとして致命傷であった。
老いたのかナマクラになったのか、どちらにしろ若き猿飛佐助にさえ遅れを取ったのである。この事実は半蔵を狼狽いさせるには充分すぎた。
その混濁する思考の中でただひとつ理解できたことがある。
彼らもまた半蔵と同じく
「石田治部少輔の出迎えに来た……そういうことか」
島左近は意味深に笑いながら頷き、おもむろに半蔵の背を押した。
「ここは雑多で疲れるのう。人混みというのは窮屈で叶わぬ。どうだい、知ってる店があるのだが、付き合って貰えぬか」
島左近に背後から促され、飛び加藤も隣にぴったりと付いた。厭といえる状況ではない。猿飛佐助だけが船着き場に残った。
島左近は武将として当代随一と知られていたし、その胆力が関ヶ原の頃と些かの変わりがなければ
「妙な素振り」
などしたら、一瞬のうちに斬り捨てられよう。飛び加藤からも、万に一つも逃げ果せるものではない。服部半蔵はおとなしく二人に従った。心なしか縛についたような窮屈感であった。