北方の日本の領土
写真は、槇の会の会長である作家の乾浩氏におねだりして撮影して頂いた国後島の島影です。
支援疲れ。
という言葉も垂れ流されてきましたが、このまま行くと、戦場で負けて持久力で勝つという結果のロシア勝利になりそうな気配のウクライナ戦争。
でも、80年近くむかし、ウクライナのように武力抵抗したくても国際的に許されず、蹂躙されて奪い取られた多くの土地が日本にはあった。
えっ?国際的に許されない理由?
昭和20年8月15日以降。
武装解除されたんだよ。抵抗したくても、出来ない。そういう条件になった場所を、ロスケは実効支配に乗り出してきたんだ。
本当は北海道をぶんどるつもりだったらしい。
8月18日に千島列島最北東端で起きた「 占守島(しゅむしゅとう )の戦い」。日本が無条件降伏した後で、千島列島最北の島にロスケは一方的に攻撃してきた。武装解除中の駐留軍が自衛措置に出て、やつらを制した。日本軍はガチで強かった。しかし武装解除は絶対命令。これを為されてから進軍したロスケに日本軍はシベリア抑留。
しかし占守島のことがGHQにバレたのでマッカーサーから停戦の通告。ロスケは無視。結局、北海道にGHQが進駐したので北海道占領は頓挫。腹いせに歯舞諸島を実効支配した。これが北方領土問題の初動である。
一部の狂信的な一意見ではなく、根本的にそういう考えなんだと警戒するのが正しい。ウクライナと順番を競っただけで、ロシアは執念深くいまも北海道を狙っている。