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屯所で食べよう、とんだ豚飯

日本人は農耕民族で、西洋人と違って肉食文化が薄い印象。近代化までは肉食が禁忌とされる場合もあった。それでもタンパク質は大事です。だから、トリやサカナやクジラは食していますよね。察するに、日本人は四本脚への禁忌感を強く持っていたのでしょう。ウサギなどは古くから食べてきたと思いますが、数える単位をトリと同じにしたところに、苦肉の策が見え隠れしています。
四本脚へのタブー倫理は、遡れば平安貴族の時代に出来たとされます。
武士の時代になると、巻狩りの延長線で獣は狩られることがあった。当然、食べたことでしょう。しょっちゅうのことではないけど、中世武士にとって、肉はエネルギー源として不可欠なものです。江戸時代になって、ようやく草食系男子がOKな時代になり、禁忌は建前上復活。その建前も、上流になればなるほど縛られます。そのいい例が「狸汁」ですね。「コンニャク汁」にすり替わったのも江戸時代のことです。
ただし、獣肉食のタブーは、つまらない建前だけではありません。『集義外書』という本の中では、牛肉を食べてはいけない理由を
「神を穢すからではなく、農耕に支障が出るから」
と明言し、さらに鹿が駄目なのは
「これを許せば、今度は牛に及ぶから」
という見解を示している。
かなり本質に突っ込んだ物云いです。でも、食うに困った百姓が牛を食ったら、農耕が成り立たないのは必定です。そのうえでオブラードに包む意味で
「神仏に反す」
という倫理観をちらつかせた。学のない当時の庶民には、これで十分だったのです。
さて。
本格的に四本脚の食生活が浸透し出したのは、ペリー来航以後の幕末世相からではないでしょうか。都市部ではもっと早かったようで、江戸には〈けだ物店〉とか〈ももんじ屋〉という肉食専門店がありました。猪、鹿、狐、兎、カワウソ、オオカミ、クマ、カモシカなどが供されていたようですが、薬喰いともいわれたので、ひょっとしたら精力剤のようなニュアンスだったのでしょうか。

本題に入りましょう。
新選組が壬生から屯所を移した時のこと。隊士は膨れ上がるものの男所帯で衛生面は決してよろしくない。そこで隊士の健康診断を行うことになった。今日でいう、企業が委託する産業医というのでしょうか。請け負ったのは将軍家御典医である松本良順。まあ、不衛生をズバズバ指摘します。代表者である近藤勇はその指摘に同意し、改善すべき点を土方歳三が実施していく。まさに教科書通りの産業医指導の姿です。
ブラック企業の方は、産業医について先駆だった新選組に見習ってください。
さてさて、松本良順の改善案のひとつが、残飯整理に伴う衛生面の指摘。これを整理する方法が、豚の飼育でした。残飯を豚に食わせれば、ゴミが解消します。その糞尿で菜園ができる。そして、豚は子をポンポンと生むから、育てて、太らせて、それを食べれば隊士のパワーの源になる。
松本良順、食料の循環も視野に入れた豚食いSDGzの指導でした。
これは、実際に行われたようです。すき焼きのような鉄板で、肉を焼いて食べたと考えられます。全員に行き渡らないから、薬喰いにしたものか、幹部の特権にしたものか。そこまではトンと分かりません。
屯所でトン食いとは、冗談のようなホントのはなし。
新選組がこうなのだから、ほかの幕末志士だって肉食したのではないでしょうか。イメージに出るのは、坂本龍馬の軍鶏鍋ですが、あれはトリです。他にはないのでしょうか。西郷隆盛などは、豚も猪も鹿も食べたそうで、薩摩は禁忌感覚が他藩より薄かったのでしょう。佐久間象山は松代に豚を持ち込んで食育にしようとした記録があります。最後の将軍・徳川慶喜は周りから〈豚一公〉と陰口をいわれていましたが、豚食いの好きな一橋公という意味だそうです。
なんだ、みんな食ってるよ。

京都を去ったのちの新選組は、もう、豚食とは縁が遠くなったものと思われます。近藤も、沖田も、志半ばで果てます。豚食のこと、思い出さなかったかな。などと、食い気盛りの夢酔は下世話なことを、ついつい考えてしまう。
そうだ。今夜は豚丼食べたいな。


この話題は「歴史研究」寄稿の一部であるが、採用されていないので、ここで拾い上げた。戎光祥社に変わってからは年に一度の掲載があるかないかになってしまったので、いよいよ未掲載文が溜まる一方。
勿体ないから、小出しでnoteに使おう。
暫くはネタに困らないな。
「歴史研究」は、もう別のものになってしまったから。