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準備稿、ちゃくちゃくと……いいのか、そんなこと云って!

宗良親王の次回作(南信州新聞連載用)。
頑張って、後醍醐天皇挙兵失敗から、コツコツと宮様の足跡を拾い上げています。だいたい90話分くらいまで積み上げて、やっと越中から大鹿村(作中では大河原)に宮様が入りました。
ここからが本番です。

この時点で南朝勢力は、かなりトーンダウン。
すでに北畠顕家は討たれて、新田義貞もあっけなく横死。後醍醐天皇はおかくれ。吉野に引き籠るのは、大丈夫かという面々。北畠親房が関東で頑張っていたけど、高師冬の攻撃でついにゲームオーバー撤退。
九州では懐良親王と仲間たちが頑張っているが、状況は明るくない。
宗良親王にとって頼りになるのは、逃げ上手に描いていない若君・北条時行、親父よりもけっこう頼れる新田義興、いないよりはマシな新田義宗、迎えてくれた香坂高宗と諏訪頼継。
このとき立場上降伏しているが、井伊家のみんなは宗良親王に心を寄せており、内々に助けてくれる。

けっこうキビシイ南朝。
チーム吉野の舵取りは、帰ってきた北畠親房だけが頼り。

しかし、このときの足利陣営も割れていた。
光厳上皇に弓を放ってしまった婆娑羅な土岐頼遠。それにカンカンな堅物・足利直義のもとに集まるチームと、時代のルールからはみ出した高師直や佐々木道誉のようなチームバサラ。それを放任してはばからぬ足利尊氏。
内ゲバの兆しがみえていた。

現在は、この倦怠期を描いているのだが、現代と当時の地形や事情も作中にすり合わせているのが、優しいところだ。そうしなければ南信州新聞購読者には、分かりにくいところがある。
そのため、ちゃんと触れていること。

秋葉街道=中央構造線。

宗良親王の時代、分杭峠という名称はない。

なんと呼ばれていたか分からないけど、でも、諏訪と大河原を結ぶ重要な場所。作中では敢えて仮名称をつけずに表現している。

分杭峠の北、高遠に近い場所が大徳王寺城。北条時行と小笠原貞宗が戦った場所。山深すぎるけど、ここだって中央構造線にほぼ沿っている。

城のあったとされる近くにあるお寺の裏手には・・・
宗良親王の御陵があるのだ

中央構造線。
そもそもなぁにと申すなかれ。中央構造線は、ドイツのE・ナウマンにより命名された世界第一級の大断層。
中央構造線は九州の八代から徳島~伊勢をへて諏訪の南を通り群馬県の下仁田~埼玉県の寄居付近でも確認される、1000km以上連続して陸地を追跡できる大断層なのです。
まあ、解説は、こちらに託す。

こういう地質ネタにまで食い込んでいく。
足りない情報は創意で膨らませていく。次章は「観応の擾乱」へいたり、宗良親王の表向き最大にして最後ともいえる「武蔵野合戦」へと繋がっていく……。
ここまでが宗良親王の足跡を追いかけられるハイライトだろう。
信濃宮として、宗良親王が大河原に留まるのは30年ほどという。残りは創作が多分に組み込まれていく。本当の意味での戦いは、きっと、ここからだな。。。。。。

昨今、大きな地震のことが揶揄され、ご迷惑なことにお米を買占めしてくれる輩さえ登場しているから、消費者も困惑。本番前からこれでは、まあ、有事の時に出来ることはたかが知れている。
この未曽有の震災のとき、中央構造線はどのように作用するのだろう。
糸魚川のフィッサマグナとは別断層という話であるが、列島を貫く存在だから、一定の震度を超えた場合、列島を引き裂くのではないかしらんと思わぬでもない。
そういう大地のパワーを有効に使っていたのだろうか、宗良親王の信濃ライフは「表(足利が描いた足利だけの都合のよいもの)の歴史」に記されていない部分。大河原にほど近い鹿塩では南アルプス赤石岳の膝元なのに、海水に匹敵する塩水が湧き製塩もできるから、自給的には完ぺきという。これも中央構造線の謎と奇蹟なのだろう。

準備稿、そんなに風呂敷拡げて鼓舞しなければいけないくらいに、暗中模索です。

北条の若様が勢いある間は、追い風と信じたい