統率の外道
世にいう言葉。知らぬ者ばかりで、むしろ初めて耳にする人が多い令和日本だと思う。
「統率の外道」
これは、神風特攻をはじめて採用した第一航空艦隊司令長官大西滝治郎海軍中将の自分自身に対する言葉。
特攻という言葉は、麻薬みたいなもので、その根幹の原点を知らぬまま現代でも表現の場や些細な話題のやりとりでぼそりと漏らす、ただの単語的な軽さを帯びている。
ひと一人の命を弾薬と変える悲壮な作戦もしくは戦術というものは、局地戦の只中の最後の抵抗意思として用いられたことは、悠久の日本史においては過去にも行われたことだろう。が、総力の戦術として、痛みの分からぬ後方の彼方から匙加減で用いられたのは大東亜戦争が最初ではあるまいか。
「統率の外道」
そもそも日本海軍は創設以来、日露戦争のときの旅順口閉塞隊のような高い危険を伴う「決死隊」を志願者を募って出すことはありました。この部分は「坂の上の雲(司馬遼太郎・著)」でも広瀬武夫を丁寧に描き、決して部下を生還させるという悲壮な覚悟も前提にされていた。
が、隊員が生還する道のない「必死」の作戦や兵器を、日本海軍は認めませんでした。対米開戦のとき、真珠湾を攻撃した特殊潜航艇は、生還の手段が用意されていたので許可になったわけです。
人間魚雷は海軍主導ではなく、各方面の若い士官たちが熱烈に提唱したもので、当然、なかなか採用されず、やっと試作にかかったときも脱出装置の準備が前提条件でした。これらは、上層部がその伝統を切羽詰まるまで固く守ったからです。
ならば、敢えて必死の飛行機特攻を始めたのなぜか。
フィリピン沖の日米艦隊の総力決戦を前に、極度に劣勢な日本の航空隊。まともに戦う手段がなかったため、やむなく命を弾薬にする作戦を用いたのです。しかし、これは伝統を破ること。
だからこそ、第一航空艦隊司令長官大西滝治郎海軍中将は自らを恥じて
「統率の外道」
だと自嘲した。自身もそのことを背負い、終戦直後に責任をとって割腹自殺されました。
ただのワンチャンスだけの作戦が、恒常的かつ正式に採用されてしまったのは、なぜでしょうか。
結論として、効果的かつ戦果をもたらす結果に結びついてしまった。
必死と決死は違う。
必死:死ぬ覚悟で全力を尽くすこと
決死:死を決意すること
ただの言葉遊びで使える「軽い」ものではないのです。
朝日新聞をはじめ多くのマスコミが宣伝したことで、妙な具合に民意を煽り立てたことは間違いありません。
民衆が煽り立てて、軍がブレていくことはあってはならない。ならないことが起こり出した。これも大東亜戦争の特徴です。
日露戦争は終わらせ方を意識した上で、戦果のみならず外交の限りを尽くして、ギリギリの辛勝に持ち込んでいった。
結果として民意が「日比谷暴動」を起こそうとも、民意にブレることはなかった。
そう思えば、たった30年で日本の軍トップの、なんと堕落したことか。この点も繰り返し司馬遼太郎は作中に綴った。招集された者の言葉は、重い。
戻そう。
特攻という言葉と、その戦術。
きっと、戦争末期には違うものへと勝手に変換されたことだろう。
回天で戦死した予備士官・久家稔大尉曰く。
「俺等は俺等の親を兄弟を姉妹を愛し、友人を愛し、同胞を愛するがゆえに、彼らを安泰に置かんがために自己を犠牲にせねばならぬ。祖国敗るれば、親も同胞も安らかに生きてゆくことは出来ぬのだ。我等の屍によって祖国が勝てるなら満足ではないか」
と、回天搭乗員を志願した頃の日記に書きしるしています。
命令ではなく、あとに残される家族や友人や、もっと大きな愛すべき全てを守るための楯と抵抗。
これこそが特攻隊員に共通した動機に変わったものです。
そうまでしなければ戦争を継続できないのか。いや、何のために継続していたのか。後方の高い場所にいる複数の思惑は、てんでバラバラの方向へ引っ張り合って、共通の進むべき先さえも定まらないまま、無辜の国民を無益に放り込んで顧みないのが真相ではあるまいか。
安く用いてはいけない「特攻」という言葉。
それでも、唯一、表題に用いた夢酔作品が、昨年の同人季刊誌 槇 での一篇。単に連載準備作から除外したものの、その背景の崇高さを惜しんで掲載に踏み切った作品です。
旧満洲における、異例の夫婦特攻。
そこにあるものは国家の命令でもなければ、軍人の美徳を賛歌するものでもない。残された妻の輝ける未来の碑になれぬと知ったとき、共に手を取り合って死出へ臨む、人としての極限の選択を描いたものです。
無論、理解のできぬ現代人も大勢おります。
槇の会員でも反応は微妙でした。
目にされた方々も、きっと、右翼的サヨク的な高揚感に浸るヤバイ奴ではないかという作者観を抱かれたかもしれない。でも、特攻という言葉と素材を語る場合の覚悟は、実際、重いのですよ。重い。そうやって、心を切り刻んで描く小説もあるのです。
重くて暗い一面も秘めながら、それを洞察できるかと読者を試すのも、物書きの業です。
むかしは暴走族のお兄ちゃんが、特攻って、よく使っていたね。
あれは単語の甘美に沿うものとして、採用したのだろうと思う。実際、交通事故や抗争で命を落としたかも知れないけど、こののちの不良の君たちは、格好いいと感じる単語の深淵をよく見通して、考えることも、忘れないで欲しい。
最後に、外道。
どういう意味だと思う?
正論者から見て異論邪説を唱える人たちのことを貶めてこう呼ぶ。またこれが転じて、日常用語として
「人の中でも特に卑劣な者」
「人の道や道徳から外れた者などを罵るために使う言葉」
となった。
大西滝治郎海軍中将が戦後、生きていられないほどの自責の意味も理解できるのではないでしょうか。
現代の、こういう国の舵取りをする皆様は、マスコミに揚げ足取りされていたりいなかったりの差はあるものの、一つ穴の狢ですから。こういう人たちのような覚悟の末だったとしたら、特攻は報われない歴史の足跡。
しかし、日本人が軽視したらいけないこと。
特定亜細亜の主観はあちらのものであるが、日本人としては譲れぬ主観を大事にしなければいけないと思うよ。
好き嫌いは別としても、毅然と、石原慎太郎のように云える政治家はもう存在していないと思うけど。好きとか嫌いは別として、亡くなった方に敬意を忘れることだけは、したらいけないんだ。
特定亜細亜の声は別のものとして、ね。
ああ、だから夢酔はこういう思想か……という誤解はしないで下さいね。
そんなに立派な人間じゃ、ございませんので。