難産と安産のジルバ
槇の会で出た話題を燃料投下!
書き物の皆様にも、ちょっと耳を傾けて貰いたい。
作品を生むときに
「難産ですか?」
という話題はどうしても出てくる。
槇のなかには同人を越えた実力者も数名おり、筆も早く質も高い。半面、じっくりと作り出すが枚数が嵩んで、でも容赦なく削れない人もいる。
「今回の作品は安産で、3日でおわりました」
という人が、今回の集まりでいた。LGBTなどの別な議論にまで飛び火して、謎の討論会に発展したけど、その作品を描いた作者は、するっと作品を生んだのだと、そう仰った。
神が下りて来る瞬間がある!
長く書いていると、そんなラッキー作品に巡り合えることがある。
夢酔の場合のそれは、萩原タケを描いた「聖女の道標」。準備稿はたった2週間で終わった。そのあとの考証や検証裏付けに、数年を費やしましたが、安産だったことは間違いない。
きっと。皆様にもそういう作品はあるのだろう。
短期間で沢山の作品を生産してしまえる人もいる。
別の方はこういう意見を述べた。
「早く作れるときは早い」
「でも、産んだら生みっぱなし」
お蔵の醸造もなく、各方面へ投稿若しくは発表したり連載を得るための営業などに労力を費やさない。生みっぱなし。
さて。
皆様は安産で作品を作れますか?
毎回、難産ですか?
できた作品(子)には発表(旅を)させて育てておりますか?
このことを話題にすると、恐らくは生みっぱなしという声が多いようにも思えます。使いまわしはしないという、プロとしてのプライドもあるのかも知れません。
でも、せっかくの良作でも、その作品の発表する時期やタイミングに恵まれない場合がある。
それだけでボツになる場合もある。
夢酔は基本、難産派です。
(むかしの宗派みたいな響きだな……安産派と難産派)
だから腹を痛めた作品(子)は、出来が悪くても可愛い。そのときが駄目でも、とりあえずは塩漬けのように熟成放置をします。期間は……1年の場合もあれば、果てしない場合もある、テキトーです。すると変に気持ちが入っている部分が抜け落ちて、熟成したことで自分の作品ではない新鮮さも手伝い全体を俯瞰できるのです。当然、へたくそな部分がさらけだされていると感じられる。客観的に、容赦なく、修正できることもあります。
夢酔はプライドなんてとっくに忘れました。使いまわし、大いに結構。
それでちゃっかりリターンされて世に返り咲いた夢酔作品も、実はあったりします。
「Ambitious渋沢栄一青春譜」は単行本化の後に、今年、電子書籍化されました。これも21世紀初頭にくすぶっていたお蔵入り作品。
夢酔はどちらかといえば難産派でしょう。
そして、生みっぱなしに出来ない人だと思います。産めずに妊娠20年目みたいなものも中にはあります。アルファポリスで掲載された「銀嶺」は20年近く経って、オギャアとなったものだし、まだお腹にいる作品(子)もいる。先に生まれる弟妹を、きっと恨めし気に見ているのだろうな。
子は、親を選べませんので。
そして、生んでもすぐに表を歩けず古酒のように琥珀になって出てきちゃうこともある。
皆様は、安産派。難産派ですか?
たいせつな作品(子)は、生みっぱなしですか?
無責任な意見でいいので、どうか教えてください!
やりかたに正解はないのだと思いますが、やはりプロアマ問わず、皆さんの意見を聞きたい。
過保護ですかね、夢酔は……!?