異形者たちの天下第3話-6
第3話-6 踊る漂白民(わたり)が笑ったあとに
駿府城を辞すると、城下の服部屋敷へ赴いた。服部正就は突然の父の来訪に
「申し訳ありませぬ!」
と、ひたすら詫び続けた。白装束のままの倅を、これ以上責めることなど出来なかった。
「そなた、江戸で儂を助けてくれぬか。儂も老いたでのん。駿府へは弟を差し向ける。頼むよ」
半蔵の言葉に正就は返す言葉がなかった。父の配慮だけが骨身に染みた。老いた半蔵には確かに支えが必要だったから、これは安い父子の同情ではない。しかし言葉に出さずとも、親心というやつでもある。
(非情な忍ノ者とて、これくらいの慈悲があるのに)
今更ながら家康が松平忠輝を殺したがっている理由が何なのか、半蔵には解らなかった。
服部半蔵は江戸へ戻るにあたり、正就のことを家康に懇願した。家康は二つ返事で承伏した。代わりに次男の服部正重が駿府城下に詰めることとなった。正重は忍びの術に長けていないが人心掌握に長けた人物だ。服部一族に不備が生じることはない。
「好きにせい。それよりも、くれぐれも頼むぞ」
家康は服部半蔵に再度念を押した。半蔵は返事に窮した。家康の傍らにはお六が控えている。築山殿のような表情で、じっと半蔵を睨んでいる。つるりとおでこを撫でる仕草もみせた。一瞬、築山殿が蘇ったものかと息を呑んだ。
「よいな。判ったな、半蔵」
再び家康は訊ねた。遂に半蔵は、断ることが出来なかったのである。
駿府を発つにあたり
「大御所よりもう一仕事頼まれてな。そなたは先に行け」
と、服部半蔵は正就に示唆し、自らはその行き先を京に定めた。倅が面目を失った御所忍びというものが
「どんな輩であるか」
を、知りたかったのだ。かくいう服部半蔵も戦国の折から御所忍びの噂は聞いていた。だから御所への忍び活動は行ったことがない。全貌が知れないものへの畏怖は否定しないし、現に御所へ入って還らなかった余所の忍びの噂も聞いていた。
仙洞御所に忍び入るために、まずはその周囲を探るべく、市井に紛れて日中散策をした。御所周りには、闇から警護している者独特の殺気は、全く感じられない。
(御所忍びは大したことないのではあるまいか)
そんな過信さえ覚えていた。
ふと、一見物売り風の女が擦れ違った。
〈半蔵殿〉
そう女は囁いた。忍びの者が用いる独特の小声だ。
〈誰か〉
〈孝蔵主さまの手の者です〉
半蔵は足を止めた。
孝蔵主は秀吉正室・高台院北政所の執事をしている女だが、実は伊賀の忍ノ者でかつては半蔵配下にあった。豊臣秀吉の探りをするため半蔵の命令で差向けられたのだが、北政所の人品に傾倒してしまい、それ以来、服部一族と縁を切り現在に至る。
そしてこの女は、孝蔵主とともに北政所に仕えている
「おちょぼ」
という女だ。おちょぼは甲賀者だが、孝蔵主にすっかり信服して配下となった中年の女忍びだ。そのおちょぼに、半蔵は入京したときからずっと尾けられていたという。
〈わたしに気取られないなら、御所のことも解りますまい〉
〈なに?〉
〈御所の端々には鋳物師や傀儡子がいたでしょう?彼らは帝の目ですよ〉
半蔵は戸惑った。
そういえば忍び入り易い箇所には埒外の民が必ずいた。この者たちを介して御所忍びは活動しているというのか。
〈わたしが声を掛けたのは、これ以上御所を窺えば傀儡子たちが襲ってくるからです。判りませんか、その気配が〉
確かに殺気のようなものが感じられなくはない。しかしそれが自分へ向けられたものか、それの特定は出来ない。
〈孝蔵主さまは斯様な振舞いを迷惑と仰せです。どうか江戸へお帰り下さりませ〉
断れば、この者も半蔵を刺すだろうか。そんな判断が鈍っている自分の能力低下がもどかしかった。頷くより他にない。半蔵はそう思った。
帰途、鴨川の流れをぼんやりと眺めながら、半蔵はしみじみと、老いというものを噛み締めていた。昨日までこの河原には派手な旗差しの阿国一座の小屋があった。阿国一座は四条河原から何処ぞへか旅立った様子である。河原者たちにも行方は判らないだろう。
もっとも半蔵が阿国のことに心を傾ける暇はなかった。
鴨川の流れだけが凄烈であり、時代と人を押し流しているようだ。そんな想いで、暮れゆく鹿ヶ谷の山影を見つめながら、半蔵はいつまでも川の流れを眺めていた。
このとき服部半蔵は素直に京より引き揚げたが、御所周りの徘徊はひとつの事件の引き金となった。間髪入れずに駿府城内で小火が起きた。幸い大事に至らなかったが、本多正純の調べによれば
「放火の様子。なれど城内の者はそれに及んだ形跡なし」
つまり外部からの潜入ということになる。この期に及んで駿府城に入り込み悪さを楽しむのは御所忍びではないだろう。
「埒外の民以外に考えられまじ」
と正純は家康に奏上した。帝への干渉の意趣返しとも取れたが、することが児戯に等しい。
「まさかと思うが、妙な人間が仙洞御所の周りをうろついたのではないか」
家康の指摘に正純は京都所司代へ調査を依頼した。板倉勝重は綿密な聞き取りで、爺が一日中彷徨いていたと報告してきた。
「それだ。服部の忍びだな、そいつは」
口にこそしなかったが、半蔵本人だと家康は察した。恐らく仙洞御所周りを徘徊したので、埒外の者をいたずらに刺激したのだ。恐らくそれが直接的原因だろう。
(余計なことをする)
このことについて家康は半蔵を咎めなかった。そして埒外の者を慰撫する策を講じた。実はこのとき、駿府城下には無数の虚無僧が徘徊していた。これもまた埒外の民である。恐らく放火はこの者たちによるものだろう。家康はそれを洞察しすぐに
「普化宗法度」
という虚無僧特権制度を公布して懐柔した。虚無僧たちが駿府から姿を消したのは、それから間もなくのことである。
これ以後、家康は埒外の民を意識するとともにその対策を真剣に考えた。
遠い将来、取り込むか、消し去るべきか、と。
この年三月。
キリシタンに対する家康の弾圧は国内に浸透し、加賀藩主・前田利常は長年藩内で匿っていた高山右近と内藤如安を追放した。この二人は秀吉の勘気を被り前田家に預けられていたのである。屈強の戦国大名でありながら信仰のために領地も捨て、なおかつカトリックの教えに従い自害すらしようとしない。その敬虔なる様に、世のキリシタン武士は畏敬の念すら抱いている。
家康はこれの行先に神経を使った。
大坂城へ入れたらとんでもない事になる。統率されたキリシタンは一向一揆のようなものだ。死すら畏れぬ死兵となって肉弾戦を敢行してくるから始末に悪い。ましてや信仰のための戦いは聖戦だから、死ぬことは尊いし歓びでもある。こんな厄介な連中と戦うことは間尺に合わない。
統率のない烏合の衆なら、キリシタン武士は恐るるに足りぬ。
「これを如何に処するか」
家康は南光坊天海に献策を促した。
天海は涼しげに
「高山右近・内藤如安の両名を断固としてキリシタンどもに渡してはなりませんぞ。彼の者たちの手が届かない異国へ奪い去るが宜し」
と囁いた。
成程上策と、家康は手を叩いた。
「さすがは南光坊。当代随一の教養者は未だ健在であるな」
「なんの、大御所の天下のためにはこの天海も我が知恵の続く限り尽くしましょうぞ。それが丹波で生命を拾って貰うた礼ですからな。それにこの天海のために死んでくれた内蔵助に報いるために遺児・福を取り立ててくれた御礼、重ねて御恩で返さねばなりませぬ」
「固いことを申される。そのキンカ頭が命取りになったのですぞ」
「ははは……気を付けねば」
天海が辞すと、家康は本多正純に二人の処分を言い渡した。
「高山右近・内藤如安を長崎まで連行せい。バテレン宣教師ともども国外追放するのじゃ。行先はマニラあたりがよかろう。出航したらもう二度と戻れまいし、儂も許すつもりはないずら」
京都所司代に拘束されていた高山右近と内藤如安は
「これも神の与え給うた道。殉教にも等しい試練なり」
と、逍遥と従った。
大坂城内のキリシタン武士たちは、これに異を唱えた。本気になって奪回計画を立てた。家康もまた、それを警戒して軍勢を以て護衛とした。
それでも何事も起きなかった。
大阪城の首脳陣は二人のキリシタン大名を
「たかが浪人」
くらいにしか捕らえていなかったから、本気でこれを実行する気ではなかったのである。家康の目論見通り、二人のキリシタン大名は倭国初の国外追放者として歴史に名を刻んだ。