見出し画像

石炭袋と幻想第四次の不完全な世界

アルファポリスでライト文芸という名目で綴った「カムパネルラの夢」。
作品は完結した状態で公開中です。第7回ライト文芸大賞にもエントリーしてみたので、ぜひポチッとかコメントなどをいただけると嬉しい。

世間様は銀河鉄道と聞くと御大の作品を連想しがちですが…

「銀河鉄道の夜」という作品には、童話や民俗学や宗教観や天文学など、大正末期の自由なエッセンスが濃縮されていて飽きない。宮沢賢治という人物は独創的なのだなと感じさせる。

この宮沢賢治を文学と切り離した部分で俯瞰すれば、その人間像の両極端なまでの評価ができるのではあるまいか。
純粋と狂気は紙一重。
それゆえに親友も生まれ、同時に絶交も生じる。

ジョバンニという主人公。彼は宮沢賢治自身をモデルにしたとも云われるが、それは正しくもあり過ちでもあろう。単純に自己ではなく、複合した総合形成の人物設定をされていることは想像に易い。
そして、カムパネルラも。

長野まゆみデビュー30年記念小説に「カムパネルラ版 銀河鉄道の夜(河出書房新社)」という作品がある。作品世界での銀河鉄道に乗った旅人・ジョバンニの対角で非現実世界の存在。死出の旅路へと誘う幻想第四次の不完全な存在である銀河鉄道で唯一、どこにでも行き得るただ一人の象徴として描かれたジョバンニとどこまでも対極的な存在。

campanèlla. イタリア語では三つの意味を持つ。
1  手に持ったり 綱で引くような、小さな鐘や呼び鈴.
2  様々な用途に使う金属製のリング若しくは輪。
  またはカーテンのつり輪。
  または牛の鼻輪。
3  中世建造物に付属する 馬繋ぎの芸術的細工を施した鉄製金輪。

彼はザネリを救うため水に落ちて、代わりに命を損なう。

カムパネルラのモデルは賢治の妹のとしで、ジョバンニのモデルは賢治本人とされるのは、現実世界で妹の早世を体感した悲鳴だろう。と同時に、盛岡高等農林学校在学中、青春の日に親友を得た賢治の、忘れ得ぬ友情の形成表現として用いた擬人化もカンパネルラであろう。
保阪嘉内。
宮沢賢治が学生時代に得た親友。そして絶交された友。

宮沢賢治が一種独特の理想郷であり自己世界を偶像化したのが「イーハトーヴ」。藤沢周平の世界に登場する「海坂藩」のような独自世界。
保阪嘉内にも似た存在があった。「花園農村」と呼ばれるそれは、前者と異なり実現化に苦闘したという違いがある。

賢治にとって、保阪嘉内は親友であった。同時に「恋人」と呼び合うような親しい精神的な間柄だった。賢治が嘉内に宛てた書簡類は恋人に宛てたような表現にも似ている。
その反面で現実を重んじ中退して世俗の波で藻掻く保阪嘉内にとっては、遠い日々に置いてきた苦しい昔話であり、〈いま〉を生きるうえで何時までも必要としない重荷だっただろう。

これをボーイズラブにする小説手法はいくらでもあった。
しかし流行に逆らいたかった。
作中、最後までノンケな嘉内に徹したのは、それだけのことだった。

銀河鉄道も宮沢賢治も、永遠に未完成の象徴であるべきだろう。
保阪嘉内も、と思う。

最後までふたりを結び付けたキーワードはただひとつ。
「石炭袋」
それが生と死の象徴であることこそ、大きなキーワードなのである。

細野晴臣さんの曲がいつも励ましてくれる~♪