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風流な戦国逸話もあった能登
元日から、1日も早い復興を祈るしかない被災地。
日に日に厳しい現実が浮き彫りになっていきます。
その中心には名城といわれる七尾城がございます。守護大名から戦国大名へと変貌する機が遅かったゆえ、能登国は近隣より狙われる運命から逃れることが出来なかった。
天正2年、加賀侵攻をめざす上杉謙信が能登七尾城を陥落したときの有名な漢詩がある。
霜滿軍營秋氣淸
數行過雁月三更
越山倂得能州景
遮莫家鄕憶遠征
「九月十三夜陣中作 上杉謙信」と題されるこの漢詩は、十三夜の酒宴で披露されたということである。後世の作か否かは、ここでは問わない。
能登は七尾城をはじめとした中世山城(いわゆる土の城)蹟が多あった。
これほどの震災だ。サムライの時代にも震災があったに違いない。
1729年、8代将軍徳川吉宗の時代にも〈能登・佐渡地震〉の記録がある。
以降は明治に入って、不定期にM6規模の地震が平成まで続いた。今回のようなM7規模は、能登・佐渡地震以来だ。
日本は地震大国。
そして、喉元過ぎて熱さを忘れる。
9月1日前後の過剰な「関東大震災から100年」報道も、いまは意識しておるまい。それが普通だと思う。しかし、我が身を正すきっかけは忘れたらいけない。
アルファポリス掲載作品「つわもの -長連龍-」、戦国能登の物語です。
参考クリック ⇒ 七尾城址資料館