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どちらの、石濱か

南北朝ブームのおかげで、注目されてもいいスポットがございます。
いや、忘れているのを、揺り起こさないと、地元のひとが一番知らない。

武蔵野合戦。

観応の擾乱とよばれる足利尊氏骨肉の身内争いの結果も癒えぬなか、電撃的に強襲した南朝勢力。新田義貞の子を中核とした軍勢に足利尊氏は圧された。鎌倉を捨て、府中・小金井周辺の激戦に敗れた。
このとき尊氏は必死で逃げ、石濱渡しを越えて、やがて甲斐源氏の合流で窮地を脱する危機。総じてこれを、武蔵野合戦という。

問題の、石濱の渡し。
説がふたつある。
ひとつは荒川区。ここで石浜城に迎えられ、危機を脱した。現在の石浜神社とされる。甲斐源氏の要素はない。
もうひとつは福生市牛浜。多摩川を渡って難を逃れ二宮城に入ったと伝わる。どちらも譲らぬ。甲斐源氏要素がやや濃そうなのは福生。吉川英治著「私本太平記」は福生説で描いている。

夢酔も、地元贔屓目でいけば、福生説だ。

石碑補正

ちなみに新田勢は、凄い面子だ!

宗良親王
新田義興
新田義宗
脇屋義治
北条時行
上杉憲顕
石塔義房
三浦高通
祢津行貞
祢津宗貞

ちゃんと、逃げ上手の若君もいる。宗良親王もいるのだぞ。

この戦いが、北条時行最後の戦いとなる。
ヒロアカ最終回の裏で、今週のジャンプでは四条畷が描かれ若君の佳境を思い知る。あれがあるから、この武蔵野合戦が大きく光るし、その後の結末と尊氏との私情が格別となるのだろう。