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異形者たちの天下第5話-5

第5話-5 家康の正体

 服部半蔵と猿飛佐助が入京したのは、出羽国八橋村を出て十日のちのことである。忍びの足では、このくらいのことは造作もないが、高齢の服部半蔵が健脚なのはさすがである。二人は洛北鷹ヶ峰にある本阿弥光悦の庵に草鞋を脱いだ。
「久しいな、半蔵」
 そう迎えたのは、剃髪した島左近であった。
「すっかり僧形が板についたようで?」
「おう、京都所司代の周辺も平気で托鉢しとる。いざというために、杖は仕込みの槍にしてるのだが、誰にも悟られないのは寂しいものよ」
 そう笑いながらも張りのある声には、世を捨てた坊主のものとは異質の、戦国武将としての気骨がまだまだ漲っている。その声を聞くと、半蔵も何やら十も二十も若返って血潮が滾るような心地を覚えた。
「で、豊臣家なきあとの上方は、どのような様子で?」
「たった四ヶ月だがな、ひどいものだよ。そちらは?」
「大御所は……相変わらず荼吉尼天に」
「こちらも、上総介殿を露骨に暗殺しようとするのでな、幸い露払いは出来たのだが、いつまた暴挙に踏み切るか」
「うむ」
「家康を斬るのは、たぶん半蔵の役目になる。そのために光悦殿には目利きして貰うた一振りがある。荼吉尼天に憑かれし何物をも切り裂く魔性の剣である」
 半蔵と佐助は島左近に導かれるまま、本阿弥光悦の待つ居間へ通された。半蔵は光悦との面識がない。さぞや垢抜けた芸術家だろうという先入観は、一目で吹き飛んだ。その湛える気配は禅僧のように爽やかで、その瞳の奥に滾る炎は武人の如き熱さを覗かせた。古田織部を茶の師とするだけあって、なるほど、その気組みは千利休によく似ていた。
「駿府大御所のことは左近殿から聞きました。いやはや、権力の魔物は人を浅ましくさせるもの。引導は早い方が世のため人のため」
 そういって光悦が示した小太刀は、白木の柄拵えで
「なにやら社に奉納されているような」
と、半蔵を唖然とさせた。光悦は何度も頷きながら
「なにせ妖刀にござれば、昨日まで奉納されていたものゆえ」
「妖刀?」
「村正にござる」
 半蔵は息を呑んだ。ひとたび握れば人を斬りたい衝動に支配される魔性の剣として、妖刀村正の名は広く知られるところである。確かにこれなら荼吉尼天に守護された家康を斬ることが出来よう。そしてその役目は、長年徳川家に仕えた半蔵にしか出来ないことだった。何ら報われることなく、一族の忠勤を踏み躙られた悔しさは、半蔵の無念として蟠っている。そんな半蔵だからこそ、泰平の道とは裏腹に血を好む家康に
「引導」
を下す資格があるのだ。
 光悦にとって家康は師・古田織部の仇でもある。鷹ヶ峰を与えられたのも、世間でいう文化庇護のためではなく、単なる蟄居でしかない。光悦自身が築いた文化的信用が、結果的にここを文化村にしているだけで、ここは家康によって蟄居された者の牢獄なのだ。島左近にとって家康は豊臣家の仇。佐助にとっては真田幸村の仇。ここにいる誰もが、家康に仇なす資格を持っている。
「半蔵はそのうち江戸の三郎も討つのだろう?そしたら、村正は必要なものになる。景気づけに家康を討ち果たしてしまえ」
 島左近はそう囁いた。
 たしかに半蔵は家康を討ったら秀忠も殺してやろうと思っていた。その残忍な本質を知った以上、泰平のためにも、こいつを滅ぼした方がどんなによろしいか。その先の世のことなど、いまは、とても考える余裕などない。天下泰平に仇なす者の排除は、ともに痛みを負うべき存在の宿命ともいえた。
 その夜は一同でささやかな宴を囲んだ。
 ここにいる者たちは、同士といってもよい。盃を傾けながら心の奥を明かし、泣いて笑ってときどき怒る。それだけで、何年来の仲のような錯覚さえ芽生える。
 そんな宴の庭へ、更に客が転がり込んだ。
「よう、阿国か」
 島左近は立ち上がり手招きした。紛れもなく二代目出雲の阿国であった。阿国はすぐに半蔵を見つけた。
「来たか、とうとうこちら側に来たのか、半蔵」
 相変わらず女らしくない口上だ。信長の血を受け継いだというだけではなく、心の片隅が信長そのものとなっているのか、身形はいよいよ傾奇に磨きを掛けている。そのうえ容姿は眉目秀麗。元々信長の血統には美男美女が多かったから、当然といえば当然の話か。
 宴に加わった出雲の阿国は、すぐに酔いしれて踊り始めた。島左近はすぐに拍子をとり、本阿弥光悦は三味線を奏で、猿飛佐助は手拍子を取った。服部半蔵だけが呆気にとられた。
「いかん、いかん。半蔵はもっと馬鹿になれ!」
 そういって島左近は半蔵の首根っこを掴んで阿国の前に引きずり出した。阿国は悪戯な眼で、悩ましげな踊りをさらけ出す。もう長いこと使い物にならない半蔵の男根が、本人の意思に逆らい突然聳えた。
「なんだい、やればできるじゃないか。これ以上恥は掻かないだろう?明日のない生きた死人なら、今を目一杯楽しめばいいぜ」
 阿国は半蔵の杯に酒を満たした。
 半蔵もやけくそになってそれを干した。
 忍び働きの人生のなかで、これほど不用心な姿を曝したことはない。しかし、警戒心のない宴の、なんと心地よいことか。佐助はこの若さで、もう、その楽しみを知っているのだ。そう思うと、何やら悔しくて、更に杯を干していった。
「半蔵、そんなに急くことはないぞ。ゆるゆると楽しみながらやればいい。明日は皆で駿府下りと洒落込もうじゃないか」
「何を申されます、左近殿。駿府へは儂ひとりで行きます。大御所の御生命を頂戴するのに、こんなに派手派手しく出向く奴がいますか?」
「いないだろう?だからやるのさ」
「はあ?」
「どうせ今の生命はおまけなのだ、せこいことなんかやってられるか。おまけで拾った余生、その刻を存分に楽しまないでどうするか」
 服部半蔵は混濁した。
 酒のせいではない。島左近の云っていることが常人の思考ではないからだ。しかしそれは、一度死んだ者だから云える言葉なのである。ならば半蔵も、それに当て嵌まるのではないか。
「駿府へ下って竹千代を討つのか。面白いなあ。あいつの役目ももう終わらせた方がいい。あいつはどうせ、偽物なのだ」
 阿国はそう吐き捨てた。
「それは、一体?」
 左近と光悦は阿国を見上げた。
「そのことは半蔵が薄々気づいていようが?信長の思念がそのことを知っているのだ、お前が知らぬ筈がない」
 阿国の言葉に一同は半蔵を凝視した。
 半蔵は混濁する意識のなかで、遠い昔の出来事を思い返していた。家康が今川へ人質になり、織田へ奪われたのち、帰ってきた彼は別人のようだった。薄々思わぬでもなかったが、今となっては本物と断定できる要因はひとつもなかった。
 あの日、織田家で何かが起きたのだ。
 そして、本物と何者かがすり替わった……何らかの、原因で。

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