異形者たちの天下第5話-2
第5話-2 家康の正体
家康のもとを去った服部半蔵は、大坂で倅・正就を弔ったのち、飛び加藤と共に出羽国に赴いた。石田三成のもとを訪れ、隠れ暮らしたのである。
石田三成は大坂参陣を約しておきながら
「それを怠った」
という理由で、佐竹義宣から絶交を申し下されていた。佐竹義宣にしてみれば豊臣家で実権を握らぬ素浪人の三成など、何の魅力もない。関ヶ原以後、危険を承知で身柄を匿ってきたのも、打算の上に成り立つ欲得以外の何物でもなかった。
しかし三成は、掌を返すような振舞いに及んだ義宣を、決して責めようとはしなかった。悪びれる事もなく、逍遙とこれまでの礼を述べ、さっさと剃髪して八橋村にある帰命寺に腰を下ろし、そこで豊臣一門の菩提を弔う日々を送っていた。
豊臣家の滅んだいま、徳川家はどのような天下を描くだろう。
そう想うと半蔵は実に切なくなる。長年尽くしてきた身の上なれば、厭が応にも世の中に関心を示さずにはいられない。飛び加藤のように主のない埒外の生活を楽しんでいれば、こんな苦悩はしなくて済むのに、己の忙しない性分は直りそうにない。半蔵はつくづく辟易するのであった。
三成は黙々と庭を掃き、半蔵は本尊の前でひたすら思案に更けている。そんな半蔵の後ろに、音もなく近付いてきた飛び加藤は
「そういえば、佐助も大坂で働いたんだろう」
と囁いた。
「あいつ、忍びのくせに根暗じゃなかったな。忍びは人外の化性、みな陰に籠もって心を許さぬ。なのにあいつは陽気だったよな。変わり者だったが、あんな奴、儂は好きだなあ」
「……そうですね」
「半蔵殿は佐助のこと嫌いなのか」
「そういう訳ではないですが」
「あいつは主務めから逃れられない男だった。真田左衛門佐という男がすごく好きだったのだな。だから一緒に死ねることを喜んでいたんだ」
半蔵もかつてはそうだった。家康のために死ねたら、どんなに嬉しかっただろう。こんなことになるなら、生きたまま死人とならずに、本当に死んでしまいたかった。
「まだ死ねないよ」
ふと声がした。
あっと云う間もなく、天井裏からふわりと降りてきた男が目の前に座っていた。猿飛佐助だ。
「生きていたのか」
半蔵は目を丸くした。
人なつこい目は変わりがない。よくぞあの地獄を生き延びたものだと、半蔵は肩を叩いて喜んだ。飛び加藤は音もなく近付くと佐助の頬を抓った。
「いたたた」
「ふむ、どうやら生きているらしい」
「当たり前だよ、ああ痛え」
その陽気な声に二人は声を上げて笑った。
突然どうしたのかと飛び加藤は訊ねた。佐助は頬を撫でながら
「石田治部殿に島左近殿から言伝てを頼まれたんだ」
「そうか、ならばすぐに呼んでこよう」
飛び加藤はそそくさと三成を呼びに走った。佐助が来たと聞いて、三成も嬉々と駆けつけた。青々とした坊主頭の三成に、佐助は大声で笑いながら
「左近の殿も頭を丸めたよ。おかしなものだな、さすが主従だね」
「左近は息災であるか」
「ええ、左近の殿はいま京都に隠棲しています。どこから見ても坊主だから堂々と往来を歩いてござるよ」
そうか、そうかと、三成は頷いた。
「で、左近殿は何と?」
堪えきれずに口を差し挟んだのは、服部半蔵である。世の中の動向を知りたい。その渇望が言葉になったといってもよい。
猿飛佐助は意味深な笑みを浮かべて半蔵を一瞥した。
「なにか?」
「いえ……左近の殿のおっしゃる通りだからね」
そう呟きながら茶を啜り喉を湿らせてから
「幕府は親豊臣派の大名を潰しに掛かっています。大御所に疑惑を向けられているから、たぶん佐竹にも何かしら干渉があるでしょう。津軽平蔵殿に渡りをつけてござりますゆえ、治部の殿は早いうちに津軽へ身を寄せるようにと、左近の殿から仰せつかってござる」
その言葉に石田三成は大きく頷いた。
津軽の領主・右京亮為信と三成は旧知にある。秀吉存命中、惣無事令違反という名目であわや取り潰されるところを
「無用な諍いの種」
であると三成が諌言し、救ったことがある。以来、津軽為信は三成の好意に並々ならぬ恩義を以て応え、敬意を払ってきた。この辺りは佐竹義宣のときと似ているが、この津軽為信は才覚に優れながらも実直な人物である。奸佞な私欲を持ち合わせない男だった。
「よし。頼ろう」
三成は島左近の計らいに即断した。
「で、半蔵さん」
「なんだ」
「左近の殿は、あんたに京へ来いと云ってるよ」
「京へ?」
「どうせ世の中が気になって仕方ないんだろうから、我慢なんかすることないってさ」
得心した。だから佐助は笑みを浮かべたのだ。島左近の考え通りになったことが愉快だったのだろう。
半蔵は京へ行くことを決意した。
津軽へは飛び加藤が同行することとなった。半蔵は佐助とともに京へ赴くことになったが
「佐助よ、お前は大坂陥落後は何処に身を寄せているのだ?左近殿のところではあるまい」
半蔵の問いに、嬉々とした表情で
「薩摩」
とだけ答えた。
翌日、三成は雲水姿で帰命寺を出た。伴う飛び加藤も僧形に変装し、端から見れば老いた雲水の供連れにしか映らなかった。
「半蔵。達者でな」
「治部殿こそ御身大事に」
石田治部少輔三成は以後、二度と世に出ることなく津軽の地でひっそりと朽ち果てていった。