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学者が覆さぬ定説の壁

プレジデント掲載の平山優氏の記。
今年7月のものです。

最後はみずから妻の首を落とすはめに…武田氏滅亡のとき忠臣が涙ながらに勝頼に指摘したリーダー失格の理由 一門の屍を山野にさらすことになるとは、後代までの恥辱 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

読んでいただく通り、甲陽軍鑑を軸としたもの。
小山田信茂が裏切ったことを前提とした手記。定説論としては当然というか保守的なものです。笹子峠が中央道のようにスイスイと郡内・国中を結ぶ主要幹線であるならば成立する説ですが、基本的に行き止まり若しくは生活山道しかない場所。笹子峠は武田家直轄地であり郡内領の境は初狩。
小山田信茂の武力的通せんぼは、旧来説である。


武田勝頼は自滅した。
それだけのこと。内政破綻は、もう高天神城陥落の頃には生じていた。小山田信茂をヒールにした、国中の人々の願望に過ぎない。

その前に勝頼を見限ったのは甲州人そのもの。

そのことには一切触れていない。
小山田以前から、一族も重臣も譜代も先方衆も、みんな裏切っているんです。それを差し置いて、小山田が裏切った罪を口にする。甲陽軍鑑は史料じゃなく軍学書すなわち小説。

どんなに頑張っても、定説は覆らないものならば、寂しい限りである。

天目山と云ったって、あそこ、正しくは田野。
天目山はその奥にある寺の山号。