正月一気読み
『王道の狗』(おうどうのいぬ)は、機動戦士ガンダムのキャラデザインやアニメーターで有名な安彦良和の漫画。徳間の雑誌でアニメーター時代から漫画に手を出してきた安彦良和は、長い事アニメから離れて漫画を極めてきました。アニメーター時代の画力とレイアウトと動きを彷彿させる色気ある画は、漫画でも健在。
この作品は近代史を描いた。明治の日本、そして日清戦争頃にいたる混沌の時代。一介の書生から大局を見出しアジア主義に目覚めていく主人公を軸にしているが、創作人物。その主人公の対局にある人物との対比、表裏を分けていく一体のような二人が、それぞれの道を進んでいく。
王道、そして覇道。
創作人物のふたり、その真ん中にいるアイヌ娘。三人の青春と思惟と環境と歴史が大きく揺れ動く。そして教科書では教えてくれない時代の、歴史上の人物が三人と交錯する。
明治22年(1889)秋、北海道上川。明治政府による石狩道路建設のための懲役労務に従事していた自由党の加納周助と天誅党の風間一太郎は、共に現場から脱走した。加納は大阪事件に関与し重懲役九年の刑、風間は高田事件に関与し重懲役十年の刑を受け、過酷な重労働の日々を送っていた。
二人はアイヌ人猟師・ニシテに助けられる。加納は「クワン」、風間は「キムイ」というアイヌ名を与えられ、湧別で農場を営む徳弘正輝の下に身を寄せることになる。二人は徳弘にアイヌ人ではないことを見破られてしまうが、軍を追われた身だという彼の庇護を受け、アイヌの娘・タキと出会うなど平穏な生活を送る。
そんなある日、ニシテが和人に騙され売られてしまう恋人を救出しようとして殺人を犯し、警察に逮捕される。加納は恩人の窮地を前にして何もできない。このことが動機となり
「裏道でも王道を行く強い狗」
になるべく放浪の武術家・武田惣角への入門を申し出、彼の指導を受けて柔術の技を磨く。さらに秩父事件の幹部の一人・飯塚森蔵との再会。北海道を舞台とした物語は、やがて東京へ。
明治23年(1890)、加納は東京へ向かう。そこで、福沢諭吉をはじめとした金玉均の支持者たちと対面する。
幕臣・勝海舟との会談も不調に終わる。
そんな中、加納は農商務省技官となった風間と再会する。
「金玉均は見限った方がいい」
「自由民権運動に大義はなかった」
という風間は、加納に対しともに陸奥宗光の下で仕えることを勧める。
「言い分は正しいが、そこには自分の信じる大義はない」
固辞したため、加納は風間の手により石川島監獄に未決のまま長期勾留されるが、勝海舟の計らいで出獄する。加納に坂本龍馬の面影を見出す勝は
「金の唱える三和主義(アジア協調)の理想は、彼の下に仕えるだけでは為しえない」
と説き、自らの支援下でアジア各国との交渉や革命運動の支援に携わることを勧める。
勝の肝いりで建造された新造艦「あじあ丸」の進水式を巡り、勝から艦長に指名された加納、陸奥から進水式の阻止を命じられた風間は相まみえるが、追いつ追われつの展開の末、無事進水を果たす。
加納はアメリカ留学を希望する風間に対し、北海道で彼の帰りを待つタキを迎えに行くように勧める。
勝の下で活動を始めた加納は「あじあ丸」の艦長として武器などの物資の密輸や、密航者の保護などを行いつつ李鴻章や袁世凱らの動静をうかがう。明治26年(1893)、清国打倒を目指す秘密結社・三合会に加わり、その縁で革命家の孫文と出会う。
孫文との対話を通じて国家の行く末を決するのは、実力者の動静ではなく無名の若者や秘密結社員ではないかと予感する。その後、加納は清の戦艦・定遠において李鴻章と謁見し、朝鮮の支配権を巡る戦争回避、金玉均への協力と両者会談の約束を取り付ける。意気揚々と日本へ帰国する加納だが、金の存在を「三国間の対話の障壁」と考える李の真意を測ることは出来ない。
明治27年(1894)3月、李鴻章との会談のため上海を訪れた金玉均は当地で閔氏政権の刺客に暗殺される。
李の策謀を察知した加納は救出のために追いすがるが阻止することは出来ず、後悔の念から李と清国に対する復讐を決意。東学の指導者・全琫準に接近すると最新式の武器を提供し、東学党の乱を支援する形で金玉均の為し得なかった朝鮮の改革を推し進めようとする。一方、日本の外務大臣・陸奥宗光は陸軍参謀本部次長・川上操六と共に、朝鮮の騒乱を引き金に清国との戦端を開く機会を狙っていた。
日清両国は天津条約に基づき騒乱鎮圧のため軍を派遣するが、同年6月に朝鮮政府と農民軍との停戦が成立したことでその意義は失われ平穏は保たれたかに思われた。しかし陸奥と川上は増派を決定し、さらに大院君を担ぎ出した上での開戦工作を進めていた。
加納は勝からの密命を受け、大院君との折衝に関わる岡本柳之助の暗殺を試みるが叶わず、同年7月28日に両国は開戦へと至る。
ネタバレはしたくないので、これ以上はやめておく。
が、安彦さんの画力は実に深く濃く説得力がある。一枚の絵から伝わる動きや心理や感情。
それだからこそ、教科書から学ばなくても知ることのできる、明治初中期の年表に洩れている市井に滲む時代。これは、知ること。知った後は学ぶのが人間というものなのだ。
物語に登場するのは足尾銅山事件の田中正三など多岐にも広がっている。秩父事件のことも知ることができる。だからこそ、知った後に学びの扉が軽くなるのだ。
この時代は、ある意味、デリケートさの薄皮がめくれて〈歴史〉になりつつある。ゆえに創作のフィールドにも恰好で、誰かの足跡を辿らずとも開拓できるブルーオーシャン。それでもデリケートな部分への慎重さは大事、地雷がたくさん埋まっているだろう。
『王道の狗』には浪漫がある。
ゴールデンカムイのような、とりあえず活劇で振り回されない分の、思慮を擽る色気と気品があるのだ。
一読を強くオススメする。出来るなら講談社本よりも、加筆のされている中央公論社本がいい。
この作品をきっかけに同氏の「虹色のトロツキー」も読んだが、満洲の社会情勢や日本の傲慢さや社会主義のエゴなど、これが南信州新聞連載作品「満洲-お国を何百里-」に多分の影響を与えたのは申すまでもない。