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幻のアトミックポイント

戦後79年の夏、本日、広島の記念日を迎えた。
ついでに、終わるから。。。。夢酔の生誕祭をプレモルでひとり寂しく過ごした。〈昭和〉は遠くなりにけり。

昭和二〇年(1945)、大東亜戦争末期。
日本に投下された人類史上最悪の化学兵器・原子爆弾。のちにアメリカ合衆国の人間は、あれで戦争を終わらせたと本気で信じて現代に至る。WGPIを推進したGHQの尽力で、日本人も刷り込まれてしまった。ルーズベルトの差別思想のためとは、決して口に出来ない事情があるのだろう。
とにかく、インパクトのある非人道兵器であることには違いない。
アメリカは原子爆弾が最大の効果を発揮するため、空襲で都市破壊されていない場所、もしくは空襲被害の少ない場所を予め選定していた。勿論、日本が降伏したのちに利用価値のある場所も除いている。そんなこんなでピックアップされたのは、新潟・広島・小倉・横浜・京都だった。

ここで注目すべきは、京都だ。

もしも実際に原子爆弾が投下されたら、その破壊精度の検証上、どの候補地よりも最適であることが伺える。山に囲まれた盆地ということで、被爆のサンプルを収集しやすく、古来の日本の都という点も好都合。何度も現地上空からの偵察で、アメリカは京都投下に格好の目標物をみつけた。
それは〈梅小路運転区〉。
明治九年以来の歴史を持つ、歴史ある機関区車庫だ。現在の京都鉄道博物館の扇状車庫転車台、いわゆるターンテーブルである。上空からはダーツの的のように見えたことだろう。

俗説で、京都には文化財があるから空襲はないというものがある。そういう流言飛語は、戦後占領政策でアメリカの印象を良くしただろう。流言飛語といったように、それは全くの偽りである。京都にも空襲はあった。昭和二〇年一月一六日には東山区馬町に爆弾が落ちた。三月一九日に右京区春日、四月一六日には右京区太秦に爆撃があった。五月一一日には京都御所にもあった。そして、六月二六日に西陣空襲があり、大勢の死者が出た。
ラングドン・ウォーナー。
美術史家で、重要文化財の密集する京都を、なんとか空襲の対象から外してくれと、トルーマン大統領に進言したとされる。
でも、この美談さえも作られたものだとしたらどうか。
アメリカ陸軍航空部隊は京都を原子爆弾投下の最有力都市(特に広島と京都はAA級)としており、投下後の物理的効果を測定するため、京都を通常爆撃の対象からわざと外していたことが、軍事資料から判明している。京都での空襲は、原子爆弾の候補都市として指定される以前のものに過ぎない。あくまでも京都は、ギリギリまで原子爆弾のターゲットであり、転車台はそのためのダーツの的なのだ。

京都の運命を変えたのも、アメリカの気分だけだった。日本が降伏したのち、既に滲み出す〈東西冷戦〉のアメリカ陣営として引き寄せることが出来るだろうか。
京都には、日本人独特の想いがある。もしもそこへ原子爆弾を投下すれば、戦後日本はどうなる。
仮にソビエトが情報戦の一手として、甘言を用いアメリカの非人道性を囁いて、日本の世論が心を動かせばどうなる。真っ赤なささやきに人間は弱いものなのだ。そんなこと、偉い人は弁えている。ソビエトに漁夫の利をかすめ取られることがあってはならぬというのが、アメリカの本音だ。

京都がリストから外されたのは、原子爆弾に関する最高指導者ヘンリー・ルイス・スティムソン陸軍長官による〈政治的理由〉の決定だけだった。
もしもナチスドイツとの戦争が長引いて、ソビエトに日本を顧みる余裕が微塵もなかったら、昭和二〇年の夏、京都は間違いなく閃光と爆風で焦土と化したに違いない。
京都1200年の文化財が今日残されている奇跡は、昭和の歴史のページの奥に隠されたような格好で、あまり人に知られていない。残されたのは、プロパガンダされたウォーナー伝説。
これを流布したのはGHQであり、広めたのは当時の朝日新聞に載せられた、ウォーナーと親交があった美術研究家・矢代幸雄氏の談話である。あの当時だから、そう書かされた、というのが正しいかも知れない。
とにかく〈勝てば官軍〉の理屈で、京都はその都合の延長線として生き残ることが出来た。

実際には広島と長崎ということで、候補地は机上のもので忘れ去られてしまった。今更掘り返しても何ということもない。

小倉上空が雲で覆われていたという理由で、当日、急遽ポイント変更して落とされたのが長崎。そこに捕虜収容所があり、同胞も収容され、教会と信徒がいる地であったとしても、アメリカは躊躇なく原子爆弾を投下した。

京都が特別という神話は疑わしい。

新幹線から京都鉄道博物館を車窓に眺めるたびに、ふと、それらのことを思う。昭和はとおい歴史になりそうだけど、まだまだ生乾きである。


この話題は「歴史研究」寄稿の一部であるが、採用されていないので、ここで拾い上げた。戎光祥社に変わってからは年に一度の掲載があるかないかになってしまったので、いよいよ未掲載文が溜まる一方。
勿体ないから、小出しでnoteに使おう。
暫くはネタに困らないな。
「歴史研究」は、もう別のものになってしまったから。