短編小説「あいつの死」
「あいつの死」
コンビニの駐車場の日陰で、真夏の太陽から逃れた男が2人で汗を流しながら弁当を食べていた。2人の作業着はペンキや油で汚れていた。黒いタオルを頭に巻いた男のズボンは所々破れていた。黒タオルの男は顔の彫りが深く、くっきりとした目鼻立ちをしている。もう一方の男の目は細く、左の目尻には黒子があった。長い髪はゴムで一本にまとめられていて金色に光っていた。顎髭は整えられており、服装の汚れにも関わらず、金髪の男にはなぜか清潔感があった。
黒タオルの男が向かいの道路を走る車を眺めながら言った。
「ようやく死んでくれたな」
「ああ、そうですね」金髪が何でもないことのように返事をした。
「今の現場はシンドイ。というか、前の現場もそうだった。違うか?」
「確かに、そうですね」金髪はあくびをした。
「それも、あいつが現場監督だったからだ。そうだろ?」
「確かに」
「納期が短すぎて手抜きもいいとこだ」
「まあ、そうですね」
「お前、仕事は好きか?」
「好きでもないですよ。金もらわないと生きていけないんで。ただ、それだけのことですよ」
「俺は好きだった。今はもう分かんねー。キツい仕事が増えた」
「そうですね。まあ、自分は働き始めてまだ3年なんでよく知らないすけど」
「最近じゃ、体調不良は早急に報告、マスク着用、安心安全の為に勇気ある休息を、なんて言ってくる。大体、そんなの立前でしかない。休めるはずなんてねーよ。現にあいつは熱中症でぶっ倒れるまでマスクして働いていたんだ。挙げ句の果ては死んじまった」
「死んだらダメだ。死んだら」
「いや、待て。死んでよかったんだよ」
「何でですか?」
「あいつが死んだってことは、会社は責任を問われるわけだ。そうなると、現場の環境は改善されていくんだ。分かるか? 今までの問題を解決していかないと、また同じように死人が出るかもしれないだろ。そうしないために、会社は動かざるを得ないんだ」
「なるほど、それは嬉しいですね。暑くて毎日死にそうでしたもん」
「ああ、うれしいだろ。あいつの死は意味ある死だったんだ。革命には必要な死だったんだ」
「革命って大袈裟じゃないですか? それに、あいつは革命起こす気なんてなかったじゃないですか。ただただ納期に追われてた」そう言うと、金髪は顔を伏せた。額から伝った汗がまつ毛から滴り落ちた。汗が目に入ったのか、金髪はグッと目を閉じた。
「確かに、納期に追われてきつそうだったな」
黒タオルの男がペットボトルのお茶を口に運んだ。半分近く残っていたお茶をあっという間に飲み干すと、黒タオルは弁当のゴミと空のペットボトルを持って立ち上がった。黒タオルはゴミ箱にゴミを捨て、コンビニに入っていった。金髪も立ち上がりゴミを捨てた。金髪は、元いた場所に戻って腰掛け、スマホをいじり始めた。しばらくすると、黒タオルが缶を2本持ってコンビニから出てきた。
「ほら、飲め」黒タオルが、金髪にエナジードリンクを渡した。
「あ、ありがとうございます。翼授かります」金髪が缶を開けた。
「飲んでも翼なんか生えねーよ」黒タオルも缶を開けて一口飲むと、金髪の隣に座った。
「ところで、誰が会社の責任を問うんですか?」金髪が言った。
「さあ、知らねーな。多分、どっかの役所の人間だろ」
「どこの役所ですか?」
「労基署とか、そんなところじゃないか。いや厚労省とかか? 分かんねーな。まあ、気が向いたらそいつで調べてみればいいだろ」黒タオルが金髪のスマホを指差した。
「そうですね」
「まあ、そんなこといいじゃねーか。誰が会社の責任を咎めようったって」黒タオルは金髪の目を見た。
「確かに、そうですね」
「なあ、もしかしたら扇風機のついたジャケット配布されるかもしれねーぞ」
「ああ、あれですか。よくコンビニで他の奴が着てるの見て、羨ましかったんですよね。あれ欲しー」
金髪は顔を歪めて体を逸らせた。黒タオルはそれを見て笑った。
「とにかく、俺たちの未来は明るい。あいつが死んでくれたお陰だ」
「明るい未来。それいいっすね。ただ、あいつが死んで悲しむ人はいないんですかね」金髪が言った。
「そんなの知らねーよ。人それぞれの問題だ。俺たちが直面しているのは個人的問題ではなく、社会的問題なんだ。1人の死の悲しみより、俺たちみたいな奴らが快適に働けるようになりゃハッピーだろ」
黒タオルはエナジードリンクを口に運んだ。黒タオルは車の走っていない静かな道路を眺めていた。
「違うか?」黒タオルが小さな声で呟いた。
「さあ、よく分かんないですけど、そういうもんなんですかね」
「そういうもんだ」
「ちょっと思ったんですけど」
「何だ?」
「現場で死んだのって、あいつが最初じゃないんですよね?」
「いや、今の現場で死んだのはもちろんあいつだけだ。世界中にある現場のことを言ってんだったら、滅茶苦茶たくさん現場で死んでるだろうな。俺らが働いてる建築業界なんて、年間何十人も死んでるんじゃねーか」
「世界中の現場でたくさん死んでる。そしたら、何で今の俺達の仕事はキツくて熱中症で死ぬ奴がいるんですか?」
「それは、会社に問題があるからだろ」
「さっき、今回のことは個人的問題ではなくて、社会的問題って言いましたよね。年間何十人も死んでる社会的問題なのに、いつまでも解決されていないってのは、おかしな話じゃありませんか?」
「んー、よく分かんねーけど、役所の奴らも問題があった会社だけでもどうにかしようとしてるんじゃねえのか? 少なくともその会社はよくなるだろ。そうなると今の現場も同じようによくなるってことだ」
「じゃあ、次の現場はどうなるんですか?」
「さあな、分かんねーよ」
「別の会社からの仕事だったら、またキツいんですよね。なんかもう絶望じゃないすか。あーあ」
「夏が早く終わるのを待つしかねえよ」
「地球温暖化で暑くなってるのに。なんか、最近1年の半分くらい暑くないですか?」
「暑い」
「誰のせいなんですか、温暖化」
「さあな」
「俺達はどうすればいいんすか」
「待つしかない」
「待つ?」
「今の現場がよくなることを」
「温暖化は?」
「それは、どうしようもねーよ。偉い奴らが社会を変えるのを待つしかねえだろ」
「つまり、俺達は待つことしかできないんすか」
「そういうもんだ」
「何でこんなことになったんですか?」
「さあな」
「待つこと以外に何かないんすか?」
「さあな。でも、俺達は運がいい。あいつが死んで、俺達は生きてんだから」
「そういうもんすか」
「そういうもんだ」
「あいつの死は、扇風機を授ける。かもしれない」
「そういうもんだ」
「どうせなら翼がよかったんですけどね」
「バカだな」黒タオルが笑った。
「ちょっと本気だったんすけどね」金髪はうつむいて呟いた。
黒タオルは何も返事をしなかった。金髪の小さな呟きは、黒タオルの耳に届いたかはわからなかった。ふーと息を吐くと、金髪が空を見上げた。空には鳥や飛行機の姿はなく、ただ電線が張り巡らされていた。もうすぐ昼休みが終わろうとしていた。