喜びが喜びを呼ぶ
そういえば最近わたしは、何だか喜んで生活をしていないなぁと気づいた。喜んで生きるって大切だなって気づいたのは1ヶ月ほど前だっけ。
朝、文章を打っていると昔の事を思い出した。
わたしは、1ヶ月ほど前喜んで生きるように工夫していた。しかしそれまでは、喜ぶなんてことはしようと思ってもできなかった。
理由は明白で、かなりの悲観的思考に蝕まれていたからだと思う。でも今年から考え方を少しずつ変えていくことで、やっと心がウキウキする感覚などを、取り戻すことができるようになった。
あるときに喜んでいきるということが大切だということを知った。そして、『喜んで生きる』という積極的に喜ぶということができることを知った。
いままでは、喜べるために何かをしようとしたり、あーだったら喜べるのになぁと、受け身的な感じだった。
そうじゃなく喜んで過ごすことを知る。喜んで料理をする。喜んで本を読む。喜んで歩く。喜んでnoteを書く。
わたしは、喜んで散歩していたらどんどん喜べてきて、心がウキウキしてきた。これはすごいと思った。何か地位や名誉、物や環境が揃うから喜ぶのではなく、そういった物がなくても心を少し変えれば喜べるんだって知った。
それから、すぐにnoteに喜んで書いた。
その日である。わたしは、用事で出掛けた。するとある外国の方に道を尋ねられた。その場所が地下鉄などを使わないと行けないところで、携帯で調べながらその行き方を探した。
そして、その行き方を伝えたあと、ありがとうございますと感謝の言葉をもらった。わたしは、そのあとじわじわと嬉しくて喜びの気持ちが沸き上がってきて幸せな気持ちになった。
わたしは、思った。人に何かをさせていただくことって、何かをしてもらうことより、大きな喜びをかんじるんだなぁって。
その時に、ハッとした。「そうだ、わたし今朝喜んで過ごしたんだ」って気づいた。だから、喜びの体験ができたんだって。
そう、喜びが喜びを引き寄せたんだ。そう思った。
わたしは、今朝その事が1ヶ月前に起こっていたことを思い出せた。あの時からわたしは、人に役立つことを今日もさせてくださいとよく祈っていた。
けれども、いつの間にか形だけの祈りになっていて何だか意味がないようにも感じた。わたしは、今日思った。神頼みだけではなく実践が抜けていたということを。
わたしは、今日また喜んで生きるように心掛けている。どんな喜びが訪れるのか楽しみだ。でも、喜んでいるだけでもう幸せな気分だけれど。