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noteを始めて,25日目になりました(2,519文字)

noteを始めて25日目になりました。今のところ毎日投稿できています。読んでくださる方々のおかげだと感謝しております。

ここまで思うことや,新しい情報の要約,そして詩を書いたりしていました。いつも自分では多くの文章を書いているのですが,日常的にお見せするような文章を書くことに面白さを感じています。

また,今回は自分の写真を使用(阿蘇山からの眺望です)しましたが,普段は多くの写真をお借りしています。あまりテーマにこだわらず,その時に素敵だな,と思うお写真を選んでいます。皆さまいつもありがとうございます。

わかること,の大切さ

教育に係る情報や,社会に係る情報。これらは整理することで見えやすいこと,見えにくいものがはっきりとしてきます。何を見せることが出来なくて,何を見せようとしているのか。それらから,なんらかの答えを導こう。などということではなく「わかること」ということが大切なのかと思い始めています。

noteに限らず,ネット上には多くの文章を毎日大量に提示されている方々が多くいらっしゃいます。精力的に活動されているそれらの姿を見るにつけ,圧倒される思いがしていますが,自分にしかできないことをしてみたいと考えているところでもあります。

文章に引用をつける方法について

文章に引用をつける方法は,リンクを貼るのが一番わかりやすくよいような気がします。その際に気をつけたいのは,出展元(団体や組織),年代,そして著者を明記することだと思っています。権威主義を大切にする。という意味ではなく,誰が書いているのか,また,なんらかの団体が影響しているかどうかを明確にするためです。年代もその情報の順序を明確にするために必要だと思います。

段落ごと一行開けるということ

分かりやすくする方法は簡単ではないと思いました。例えば,現在多く行われている「一行開ける」という方法も,それだけでわかりやすくなっているとは言えないと思います。一文(段落)をどのように分けるのか,ということは思うよりも大変難しいことだと思います。

参考になる,スキがつくということ

スキがつく,つかない,というのはとても参考になります。もちろん,ネガティブなことにスキは付けにくい,と言うこともあると思いますので,ポジティブな事ばかり書いてみても,それはそれで内容が軽くなるような気がしています。ただ,想像するよりもスキをつける方々は正直なのだと感じています(スキと言えば,スキを押してすぐに消す方がいらっしゃいます。よくわからないなあ,と思いつつ,それらは計算に入れていません。)

noteのシステムの良さ

誰かに読んでいただけるというのは,それだけで素晴らしいことだと感じています。これはnoteのシステムの良さのように思います。書かれた記事と,読まれる方を上手に差配されているのだと思います。このシステムの良さはnoteの強みなのかもしれないと思いました。

書き言葉なのか,話し言葉なのか

書き言葉なのか,それとも話し言葉で書くのか,という問題があると思います。これについては,声に出して読める文章を心がけています。完全な書き言葉は大変論理的ですが,一定の知識を必要とする上に,それでも解釈に迷うことがあり,noteで書くには不向きだと思えるのです。

話し言葉であれば良いというわけでもない

ただ,だからと言って話し方がくだけすぎるのも考えものだと思いました。親しみはあるかもしれませんが,内容が軽くなりがちだと考えるためです(おそらく,書かれている方もその点に悩まれているのではないかと思うのです)。毎日思うことを書かれているnoteを拝見したのですが,これは大変勉強になりました。その方の文章はとてもきれいなのです。おそらくは文章がもともと得意な方なのだと思いますが,毎日書く,というそれだけでも影響は大きくあるのだと思いました。

ひと休み

僕は文章指導をするときには,「とにかく思いつくことを書いてください。」ということが多くあります。それでもほとんどの人は書けません。それは,長文を書かれることがないためです。短文も書かないのに,長文を書くというのはほとんど想像ができない行為なのだと思います。

しかし,最終的には皆さま書くことが出来るようになりますので,文章を書くことは誰しも問題なく行うことが出来るようになるのだと考えています。

ちょっとお話が横道にそれました。

今後書きたいこと(教育,社会,そして求められること)

今後は,教育に係る構造を,社会的(政治的,法律的を含む)にも,そして教育学的にも,さらに求められることについて,それぞれ,テーマを絞りつつ記事にしていきたいと思っています。もちろん,ルーブリックや,ナンバリング,そしてそれらの根拠と独習への生かし方まで書けるとよいなと考えています。

余談,(ネットの)情報の内容に係るパターン

最後に,余談になりますが情報を調べていて,記事の内容にかかわるある一定のパターンを見出しました。詳しくはあらためて別の機会に記述しますが,簡単に申し上げると,あまりにも情報の内容を限定しすぎている記事が多すぎることです。これは今のところ「日本にだけ」見られる傾向です。そのために読んでいる人の記事に対する理解を妨げていると感じており,現在それは確信に変わりつつあります。

おわりに

もちろん,テーマに沿った記事は大切だなあ,と思っているので,今後はある程度の大きなテーマを見出すことが出来ると良いな,と思っています。そして,出来る限り分かりやすく,そして,感じることのある文章を書くことが出来ればと考えています。

詩は,また思いつくときに書いてみたいと思っています。ただ,詩作は才能あふれる方がたくさんいらっしゃるので,本当に自己満足というか。それでも,何か伝えたいという気持ちがあるときは,詩作してみたいと思います。

それでは,今回もお付き合いいただき,ありがとうございました。
ご意見やご感想,またご批判やご指摘など,楽しみに,そして大歓迎しています。無理にとは申しませんので,お気づきの点がありましたらお知らせください。

今後とも,よろしくお願いいたします。

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