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Coffee break: 学びの変革?というか(1,314文字)
アクティブ・ラーニングに係る調べ物をしているのですが,少し難航していまして。少し時間がかかりそうです。今回はCoffee breakとして,学びの変革のようなことを感じている,その感じ,感覚を,なんとなく書き出してみたいと思います。肩の力を抜いて,お付き合いいただければと思います。
アクティブ・ラーニングの言葉を聞いたのは今から10年ほど前でしょうか。研究発表の中で伺って,なるほど,体験的な学びがこれからは重要視されるのか。などと思っていました。その後,関連する書籍や研究者のお話などを聞いていてある程度理解はしたつもりです。
ただ,実際の運用となると話は別で,結局のところ運用側の能力に非常に依存する内容なわけです。どうしてかというと,明確な方法(カリキュラム)が存在しておらず,教える内容も明確ではないためです。まあ,あたりまえなのですけど。
そんなわけで,なかなか批判的にとらえられがちだよなあ,などと考えていまして。結局のところ,本来の授業型と併せて用いるのが正しい,なんて折衷法がとられるわけです。大抵の場合よくありがちな結末と言うか。
Aのプランがあって,対案としてのBのプランが提唱され,結局どっちも正しいとなって,A and BのCプランが出来上がるわけです。実証主義だと実施する方は良いでしょうけど,付き合わされる方はたまらないですねえ。
そんなこんなで,主体的・対話的で深い学びなんていうことになるわけですけど。アクティブラーニングにせよ,主体的・対話的で(…),にせよ,どちらも悪いことは言っていないわけです。本当に。
これらのことは何故興っているか,というと,OECDの方針やアメリカの教育改革などが影響していると思われるのです。この辺は日本ではあまり説明されていません。私の調べ方が足りないのかもしれませんが。
根源的な生きる力を伸ばす教育,という方針が21世紀になり世界的な潮流となっているようです。また,パンデミック以来,世界に生きるわたしたちの課題,というような検討が世界のあちこちで進んでいます。
そう,これを今追いかけているのですが,あまりにも範囲が広く,そして漠然としているのです。
オンライン教育に,協調学習,また,科学的学びや情報教育。それらをとりあげるのは良いのですが,それらを受けた子どもたちは果たしてどのような人物となるのでしょうか。
それらは個別的学びにより,個別的な,個性的な結果に落ち着く。なんて,あまりにも他人ごとではないかと思えてきます。世界的には,教育や情報に係る人々は多く,そのような教育の受け皿はあるようですが,日本ではどうでしょうか。その辺(就職・社会の受け皿)の整備をしておかないと,氷河期の悲劇が再び繰り返されることになるのではないでしょうか。
結局,個人にとっては,基本に沿って,地道に,そして手堅くやるのがいいのかなあ…なんて,思いながら調べを進めています。
無理のない人生設計,そして,無理のない学習計画を立てていきたいですね。
いつも読んでいただきまして,ありがとうございます。
時々このようですが,懲りずにお付き合いいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。