
健康第一
年々健康がどれだけ大事か分かるようになりました。
五体満足で日常生活を送れていることがどんなに幸せか。
一言で病気と言っても、人それぞれ抱えているものが違います。
病気と闘うのは辛い事です。
だから私は闘うことから逃げました。
今は運命共同体として共存しています。
なるべく悪さをしないよう、騒がないよう日々なだめながら生活をしていると、強迫性障害が私の一部になっていることに気付きました。
どんなに嫌なものでも、自分の一部を取り除くのは難しいですし、取り除くには勇気がいります。
私の一部にまんまと納まってしまった強迫性障害に、私は感謝すらしています。
きっと失ったものは大きいし、日常生活に負荷はかかりっぱなしですが、きっと病気にならなければ分からなかったことが沢山ある気がするのです。
誰にでも悩みやストレスが多々ある社会で、私には生きにくいと感じる原因がありました。
はじめて私が強迫性障害だと医師に告げられた時、絶望と共に安心もしたのを覚えています。
この奇妙な行動には理由があった、病名があったのだと、決して自分一人が悪かったのではないと思えたからです。
当時はなぜ自分がこんな病気になってしまったのだと、頭を抱えるばかりでした。
でも今は、理由なく原因も分からず苦しんでいる人たちがいる中、私は恵まれていると思うようになりました。
せこいやり方ですが、自分の悪い部分はすべて強迫性障害のせいに出来るからです。
強迫性障害が、すべての悪役を引き受けてくれているおかげで、私は日々穏やかに過ごせています。
生きていれば、嫌なこともあるし、辛いこともあり、私たちはそんな様々な闘いを強いられます。
闘うなら味方は多い方が良いです。
だから私は、味方にはならないけど、強迫性障害と共闘することにしました。
強迫性障害は私の中で生まれたものだから、私の一部です。
外敵とは違う。
運命共同体として、背中合わせに闘うことを決めた強迫性障害は見えなくても私の中にずっといます。
天気が良い日もあるように、悪い日もあります
私の中の強迫性障害にも波があります。
波を乗り越えよう、外敵からも身を守ろう。
そんなスローガンを掲げ、今日も私は日々の荒波を乗り越えます。